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くりねずみ
昔から小説や詩などを読んでいて気に入った部分はまるまる覚えてしまう癖があった。それを頭の中で何度も反芻するのが好きで、やってることは好きな歌を口ずさんで気分を上げるのと一緒だ。
その中に『死せる魂』のある一節があって、それは以下のようなものだ。詐欺で大儲けするため死んだ農奴を買いに来たチチコフに、地主であるソバケーヴイッチは自分の農奴たちがいかに凄かったのかを滔々とまくしたてる。チチコフが呆れた様子で「その人達はみんな死んでしまってるじゃないですか」と指摘すると、ソバケーヴイッチは、その農奴たちが死んでいることに初めて気がついたかのような反応をしてこう言い返す。
『 「それあ、確かに死んでいますよ。」ソバケーヴィッチは、なるほど考えてみればその農奴たちはもう死んでいるのだと気がついたらしく、そう答えたが、すぐにこう附け加えた。「ですがね、現に生きている奴らにしたところが何です? あんなものが一体なんです?――人間じゃなくて、蛆ですからね。」』
今挙げたソバケーヴイッチの台詞は、実は最後の部分が違う。自分の記憶では「蛆」だったのだが、本当は「蝿」が正しい。だから彼は「人間じゃなくて、蝿ですからね。」と言ったことになる。
(ありがたいことに)私の記憶力は完全ではないので、何度も咀嚼しているうちに言葉の形が変わったりする。まるでヘラクレイトスの河のように、テクストは絶えず変化するからだ。
たぶん、最初はちゃんと蝿として覚えていたはずなのだが、なぜ「蝿」から「蛆」に変身したのか。それについては二つの説を思いついた。
一つ目は世代交代したという説。ゴーゴリが創造した蝿が、死せる魂に卵を産み付けて去ってしまい、その卵が私の頭の中で孵化して蛆が湧いたのだ、というもの。
もう一つの説は私の中では、蝿よりも蛆の方が死と腐敗のイメージが強く、そういった意味の重力に引っ張られてしまって蛆に変身したのだ、というものだ。
前者は詩的解釈、後者は心理的解釈ということになるのだろうけど、いずれにせよテクストは生きているということだ。私たちが読み返すたびに、反芻するたびに、あるいは忘却するたびに、テクストは変化する。
ウンベルト・エーコは、子供の頃に暖炉の火を見つめるのが好きだったという。それは火が、パチパチと音を立てながら、絶えず様々な形に揺らめくのが面白かったからだそうだ。私の感覚はそれに似ているかもしれない、と思った本日の読書でした。
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