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臼井優

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ジュゼッペ・ガリバルディは、1860年に両シチリア王国を征服しサルデーニャ国王に領土を献上した後、一切の地位や報酬を拒否して故郷の島へと帰るという劇的な「引き際」を見せました。
詳細な経緯は以下の通りです。
権力移譲: 1860年10月、ナポリ北方のテアーノでサルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と会見したガリバルディは、自らが征服した南部イタリアの統治権を国王に平和的に譲り渡しました。
拒否と隠遁: 国王はガリバルディに対し、正規軍の将軍の地位、大勲章、貴族の称号、城や船の供与などを提案しましたが、ガリバルディはこれらすべてを拒否しました。
カプレーラ島へ: 1860年11月、彼はナポリを離れ、地中海に浮かぶ小さなカプレーラ島(イタリア語版)の自宅へと戻り、事実上の隠遁生活に入りました。これが彼のイタリア統一運動における主要な活動の終焉となりました。
その後、1861年3月にイタリア王国が正式に発足すると、ガリバルディは一時的に議会の議員として迎えられましたが、首相カヴール伯爵を激しく批判して孤立するようになり、国内では厄介者扱いされる状態となりました。
彼は生涯を通じて共和政の実現を望んでいましたが、それは叶わず、残された課題であったローマ併合(1870年に実現)を見届けた後、1882年にカプレーラ島でその生涯を閉じました。見返りを求めない潔い行動は、彼の国民的英雄としての名声を不動のものとしました
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臼井優

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イタリア統一戦争におけるガリバルディは、「千人隊(赤シャツ隊)」を率いて南イタリアの両シチリア王国を征服し、その地をサルデーニャ王に献上することで、イタリア王国成立に決定的な貢献をした国民的英雄です。マッツィーニら共和主義者と協力しつつも、最終的には現実的な王政による統一を促し、「二つの世界の英雄」とも称される、イタリア統一運動の「三傑」の一人です。
ガリバルディの役割と功績
「千人隊」の率い: 1860年、約1000人の義勇兵(赤シャツ隊)を率いてシチリア島に上陸。圧倒的な勢いで両シチリア王国(ナポリ王国)を征服しました。
献上と統一の促進: 征服した領土を私物化せず、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上。これにより、北部のサルデーニャ王国と南部が合流し、1861年にイタリア王国が成立しました。
「三傑」の一人: 共和主義者マッツィーニ、現実主義者カヴール(サルデーニャ首相)と並び、「イタリア統一の三傑」と称されます。
統一運動における位置づけ
共和主義から王政へ: 青年イタリアの理想(共和制)を共有していましたが、最終的には王政による統一を受け入れ、現実的な統一を実現させました。
カヴールとの関係: カヴールとは対立する時期もありましたが、最終的には協力関係を築き、統一を達成しました。
ガリバルディの軍事的成功と国民的英雄としての人気が、カヴールの巧みな外交戦略と連携し、イタリア統一(リソルジメント)を大きく前進させました。
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はる

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世界史あるある

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を筆頭に名前長いやつフルで呼びがち
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ゆっく

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山川の世界史用語集を適当に開いて、そこのページの言葉で短歌作るって思ってたけど、開いたページが、ガリバルディとか両シチリア王国とかで、すぐ挫折したw
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とか。ムズっ。
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