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洋なし
本来の私ってそういうこと言う奴じゃないんよなぁ、何この面白みのないイイコチャン返信…なんだコイツ。っ思って。
『あと職場でこんなやらかししたからぜひ見て(ドヤ顔)』て写真送った。うん、こっちが私

チェルシー(偉)
◯◯士という資格を取るために入学した、ってのは既に何回か話しているはずなのに「その、△△士?」と母はいまだにあやふや(父に至ってはおそらく、いま在学している学校のことなど母以上に知らないはず)。🍬「いや違うよ◯◯士。△の方は民間資格で◯は国家資格で…」とまた説明し直す。
🍬「資格がないとできない仕事ってわけではないから、玉石混交の業界なんだ。◯が国家資格だってこともあまり知られていない。現に母さん、さっき◯のことわからなかったでしょ?」と問い返すと、母は痛いところを突かれた様子で笑う。その様子を見て、言うつもりではなかったことだけど、良い機会と思い言わせてもらうことにした。
かつて高校生時代には、私は大学ではなく専門学校への進学を希望していたこと。当時それを両親や担任に話したこと。両親からも担任からも反対され、級友からも希望進路を疑問に思われる始末。「どこでもいいから、とりあえず大学を出なさい。そこを卒業さえしたら、あとはあなたの好きにしたらいい」とのことだった。どうにか興味を持てそうな分野を絞り出し、後ろ盾となるような資格の存在を把握し、それを踏まえた展望などを調べておいた。
「どうしてその分野を志望したのですか?」と問われた時のための、イイコチャンのふりをするためのやっつけ仕事な下調べ。でも、その間に合わせの下調べに両親と担任も頷いた。「無難に進みそうだ」という安堵と、「こんなやっつけ仕事にOKだすとか、その程度の反対と賛成だったのか」「あまりにも甘すぎる」という失望。
当時自分の胸に潜んでいた上記の思い、それが今に連なる呪いと化している。結局ストレートで◯◯士の資格を取ることは叶わず、一旦就職したものの諦めきれずに今の大学に編入した。
果たして、諦められなかったのは「◯◯士の資格」か?それとも、他人の指示に従うため犠牲にした「私の四年間」か?私は後者であるように思う。資格を取り直して(取り返して)、犠牲にした四年は無駄ではなかったと思いたいのだ。そして、時間や金を使い未だに抗う様子を見せて「お前達のせいで私は今も呪われている」と知らしめ復讐したいのだ。
でもそんな自分の悲しい足掻きを見て思うのは、「過去を取り戻すために新たに時間を費やそうとも、過去は戻らず、それどころか復讐のためにさらに時間が過ぎていく」ということ。正直、今更◯◯士を取得したとして、それを使った専門職に就きたいのか?食っていけるのか?本当にやりたいのか?という疑問は消えない。多分、専門職に就かないし(そもそも雇われるのに向いていない気がする)、食っていけないし、やりたくない(ここにも復讐が現れている。「食っていけない資格」なのにホラ、あなた達は簡単に頷いたよね?と)。
わかっているんだよ、今も連綿と続く私の復讐物語なんだ。そして、だけれども、それが終わりを迎え始めたことにより、新たな側面が見え始めたような気がしていて。かつて私が望む未来を挫かれ、今も呪われていること。そこから見出されるのは「人それぞれに合ったスタイル・望む生き方を選ぶことの重要性」。
きっと、望むままにここまで生きてきていれば、その楽しさ素晴らしさは理解しきれないままだったろう。挫かれることによって生じた羨望は、甘いスイカに僅かのみふりかける塩のようなもの。手にすることが叶わなかった選択が、スパイスになって際立つ。
かつての私と同じように、わだかまりを抱えて生きている人がいるはずだから。私は多分、早めにそのことに気づけたから。卒業に気持ちが向いているのは、人生の物語も新たな章に入ろうとしているからなのだろう。だからきっと、まだたくさんいるであろう「かつての私」を探して助けに行くために。私がまずは己の鎖を解き、「このように生きてみよ」と体現しなくてはならない。待っていてください、必ずやあなた達の手を取り、共に開かれた世界へ歩み出しましょう。私が先陣を切るので、必ずや共に。
