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『花彩命の庭』
— 灰都の探偵と、命を喰らう花の噂 —
灰色の雨が降りしきる街に、花の香りなんてものは存在しない。
排気ガスと錆びた水道管の臭いが混ざり合った空気が、喉の奥に鉄の味を残すだけだ。
そんな街で、花の噂が流れ始めたのは三週間前のことだった。
「人を生き返らせる花がある」――死者の多い街で、これほど甘い毒はない。
案の定、裏社会はざわつき始め、依頼案件も妙に増えた。
俺の名は久瀬ユウヤ。
だらしない探偵だが、この街の汚れた事件をいくつか拾ってきたことで、
“人間の最期の顔を見るのに慣れた男”などと、不名誉な評判までついている。
そんな俺のもとに、妙な女が訪れたのは、雨の音さえ途切れそうな深夜だった。
「久瀬さん、あなたしか頼れません」
黒い傘の縁から滴る雨粒より冷たい声で、女は言った。
名を、美月というらしい。
白い指が差し出した封筒には、写真が一枚。
そこには――鮮やかな花がひとつだけ写っていた。
錆色の荒地の中央に、まるで“そこだけ神の筆が落ちた”ように咲く花。
花弁は虹を液状化したようにきらめき、不自然なほど光を放っている。
「この花に触れた人々が、次々に消えているんです」
「消えてる……死んだ、じゃなくてか?」
「はい。“消える”んです。足跡も、血も、痕跡も、全部まとめて」
その瞬間、背骨を氷が走った。
死体が消えるなら処理だが、存在ごと消えるのは別だ。
そんな現象を説明できるのは、科学か、宗教か、呪いか。
そしてこの街では、一番可能性が高いのが――三番目だ。
美月を先導し、写真の場所へ向かうころには夜が深く濃くなっていた。
街灯が一本もない旧工業区。
鉄骨とコンクリと崩れた建屋の影が、ゆらゆらと蠢いて見える。
そして――
写真の中央に写っていた場所、そのままの光景が、そこにあった。
“花彩命の庭”。
荒廃した大地の中央で、その庭だけが異常に色づいていた。
何十もの花が咲いているわけじゃない。
ただ一本の花が、周囲の空間ごと塗り替えているのだ。
闇を押し返す光。光の周りで渦巻く、微細な粒子。
まるで空気そのものが“生者の願い”の色を帯びているような、底知れない美しさ。
美月が震える声で呟いた。
「ここに……弟が吸い込まれるように歩いて行って……姿が消えました」
「吸い込まれた?」
「ええ。引き返せと叫んでも聞こえなかった。
まるで、花に“呼ばれている”みたいでした」
花に呼ばれる――その言葉は、昔読んだオカルト資料の一節と同じだ。
“花彩命の庭は、生者の未練を食む”
“花弁は願いの形を映し、触れた者を引きずり込む”
人の心の闇に咲く花、なんて詩じゃない。
本当に“喰らう”らしい。
それでも近づく必要があった。
弟の行方を知るために。
そして、このまま放置すれば被害が拡大するのは目に見えていた。
俺は一歩、花に向かって歩き出した。
だが、その瞬間。
足元の地面が、音もなく“沈んだ”。
まるで大地そのものが液体になったように。
落ちていく、落ちていく。
美月の叫びは遠ざかり、視界は鮮やかな色で満たされていった。
気づけば俺は、見知らぬ場所に立っていた。
荒地ではない。
夜ではない。
そこは……無数の花が揺れる巨大な庭だった。
花の色は人の記憶の色に似ている。
懐かしさ、後悔、失われた時間、叶わなかった願い――
それらが混ざり合い、虹より複雑な光を放っている。
「お兄ちゃん?」
振り向くと、美月の弟が立っていた。
だがその表情は、なぜか穏やかすぎた。
まるで“ここが帰るべき場所”と信じ切っているように。
「ここはだめだ。戻るぞ」
「なんで? 僕はここで全部叶えてもらえるんだよ。
願いも、後悔も、忘れたいことも、全部……花が吸い取ってくれるんだ」
言葉が終わると同時に、
彼の足元から淡い光が伸びていた。
花弁の光が、人の輪郭に溶け込もうとしている。
やばい。
俺は彼の腕を掴んで引き剥がそうとした。
だが、力が入らない。
ここでは、生者の意思より“未練”のほうが強く働く。
花はそれを食う。
「……やめろ」
「大丈夫だよ。楽になるんだ」
その瞬間、背後で花のざわめきが強くなった。
生き物が喉を鳴らすような、不気味な音。
庭全体が脈動している。
ここは、生者の弱さを飲み込み、命を代償に夢を与える場所。
“花彩命の庭”の真理が、骨の奥まで染み込むように理解できた。
だったら――
未練ごと、引きずり出してやるしかない。
俺は叫んだ。
「お前は、美月の涙を見たいのか!」
弟の瞳が揺れた。
花の光が弱まった。
そのわずかな隙に、腕を強引に引っ張った。
花が怒鳴るように光を撒き散らし、庭が震えた。
視界が白くはじけ、世界が崩れ落ち――
気づけば、荒地の上だった。
花はすでに影も形もなく、ただの土が残るばかり。
美月が泣きながら弟を抱きしめていた。
弟はかすかに息をしていたが、庭の記憶はすべて失っているようだった。
それでいい。
覚えていたら、生きていけない。
美月が言った。
「久瀬さん、あの花は……もう?」
「消えたように見せて、きっとどこかに移る」
「じゃあ……まだ誰かを喰らう?」
「……ああ。未練の多い街なら、いくらでも餌はあるだろう」
灰色の雨が再び落ち始めた。
花の香りなどない街。
だが、あの庭の色は、まるで、
この街のどこかで再び咲く瞬間を待っているように思えた。
俺は煙草に火をつけ、雨の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
そしてつぶやいた。
「花彩命の庭……あまり人間を甘く見るなよ」

く
花彩命の庭 ― 夕凪の帰り路
山あいの村は、夕暮れの匂いを濃く吸い込みながら静かに沈んでいた。
川べりに立つ木々が風にゆれ、葉の影が畳のような模様を地面に広げている。
遙(はるか)は、久しぶりに故郷へ帰ってきた。
都会での暮らしに疲れ、仕事も人間関係も限界に近かった。
誰にも言えず、ひとりで夜行列車に飛び乗ったのだ。
村の空気を吸った瞬間、胸の奥の固くなっていた部分がやわらかくほどけるような気がした。
子どもの頃、祖母に連れられて歩いた山道。
夕暮れのざわめき。
虫の声。
どれも失われずそこにあった。
だが、ひとつだけ違うものがあった。
村の外れの神社。
その裏手に、見覚えのない細い小径が伸びていた。
遙は足を止めた。
昔、確かにここには何もなかったはずだ。
だが風に揺れた草の隙間から、吸い寄せられるように淡い光が漏れている。
気づけば足が動いていた。
小径を進むと、空気の色が変わる。
風も音も、自分の呼吸までどこか遠くなる。
視界がふいにひらけ──
そこに庭が広がっていた。
まるで古い掛け軸の向こう側に迷い込んだような庭だった。
色鮮やかな花が咲いているのに、
光は柔らかく抑えられ、どの花も静かに、静かに呼吸している。
花びらは時折色を変え、淡い揺らぎとなって空気を染めていた。
遙は思わず息を飲む。
「……ここは……?」
「“花彩命の庭”。
ようこそ」
声がした。
振り返ると、白髪の女性が立っていた。
穏やかな笑みを浮かべた、どこか懐かしい人物。
「あなたは……?」
「此の庭の守り人ですよ」
守り人──その言葉を聞いた瞬間、遙の胸がざわりと揺れた。
初めて会う相手なのに、どこか心が覚えている感じがする。
女性は遙を庭の奥へと案内した。
歩くたび、花の色が変わる。
青から桃へ、桃から白へ、白から薄金へ。
だがどの色も、やさしい滲みのように溶けてはまた咲いた。
「遙さん。
あなたは“失くしたもの”があるでしょう?」
不意に言われ、遙は足を止めた。
言い返す前に、庭の中心にある一本の木が視界に入った。
その木には、見たことのある花がひっそり咲いている。
小さな頃、祖母が大切に育てていた花と同じだった。
四季の移ろいとともに色を変え、
風にそよげば鈴のような音を立てる、不思議な花。
遙はふらりと近づいた。
花の前に立った瞬間、胸の奥にしまい込んだ記憶がゆっくりと浮かび上がる。
──祖母の笑顔。
──縁側で膝枕をしてくれた手の温度。
──いつも言いそびれた「ありがとう」。
──病室の白い天井。
──伝えられなかった「ごめんね」。
遙は唇を噛み、視線を落とした。
「……ずっと忙しいふりをしてた。
会いに行くのが怖かった。
最後まで、ちゃんと向き合えなかった……」
守り人の女性はそっと遙の肩に手を置いた。
「この花は、あなたが置いていった“悔い”の形です。
ここで咲くのは、想いの一片だけ。
苦しみや悲しみを責めるためじゃありません。
あなたに……戻る力を渡すために咲くのです」
花が風に揺れ、鈴のような音を響かせた。
その音は、遙の胸の奥の奥に触れ、柔らかくほぐしていく。
涙がこぼれた。
「……祖母に、もう一度……会いたい……」
「会えますよ」
守り人はそう言い、庭の奥にある小さな祠を指した。
祠の扉が静かに開き、中から柔らかな光が溢れてくる。
その光の中に──
祖母の影が見えた。
遙は息を呑み、思わず一歩踏み出した。
次の瞬間、光がそっと包み込み、祖母の声が聞こえた。
「遙。
そんなに泣かんでええよ。
よう戻ってきてくれたね」
懐かしい声は、過去のすべてを溶かすほど優しかった。
遙は泣き笑いをしながら、祠へ手を伸ばした。
しかし光は穏やかに押し返す。
「もう戻り。
遙は遙の道を歩くんやで。
うちはここで見とるから」
祖母の声は遠ざかり、光はゆっくりと閉じていった。
祠の扉が閉まったとき、
遙の胸の痛みは泣き疲れた子どものように静かになっていた。
守り人は微笑んだ。
「あなたは、もう大丈夫。
悔いは過去に置いていける。
これからは、あなたの歩みだけを見ればいい」
庭に風が吹き、花が一斉に揺れた。
色が淡い光になり、遙を包んでいく。
次に目を開いたとき、
遙は神社の裏手に立っていた。
夕暮れの風が頬を撫でる。
手のひらには、小さな花弁が一枚。
色は、祖母が愛したあの花と同じだった。
遙は深呼吸をし、ゆっくりと笑った。
「……帰ろう。
ちゃんと、生きよう」
遠くで風が鈴の音を運んだ。
まるで祖母がそっと背中を押してくれたように。
遙はその音に導かれ、村の道を歩き出した。
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出会い厨♪ 天誅♪ (出会い厨じゃないよ)
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碧(あお)と申します。短歌、俳句、小説、歌、料理などがすき。写真は趣味。好きなこといっぱい作りたいなぁと思うこの頃。
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ぬえや🀄️
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s2_mi
色んな人と仲良くなりたいです!
話しかけてくれたら嬉しいです^^
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