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ろくろ
#にじさんじWORLDTOUR2025
fifth父兄♀︎
ちなえるさんのイタチワールド葛葉2025新時代エキスポは本当は「にじさんじ WORLD TOUR 2025
Singin’ in the Rainbow!」だったんだよね

長井頼通

てぃす

fuu
海行けない。
感情イライラ。
気持ちモヤモヤ。
なんか疲れたー。。。
ってたまには弱音吐かせていただいて。
でも、前に教えてもらった雨の日には
『Singin' in the Raie』雨に唄えば
を聴いて気持ちをちょっとだけ軽くする。

ハシオキ龍之介
#レコードジャケット #JAZZレコード
☆『レスター・ヤング』
村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。レスター・ヤングによって、それまでトラッド一辺倒だった私も徐々にモダン開眼していった。レスター・ヤングは別にモダン派ではないが、去りとて古臭いコーニーなトラッドスタイルを堅持していた人でもなく、こうした人を故.大橋巨泉氏は"中間派"と名付けて新たな立ち位置としてジャズ史に地平を切り開いた。トラッドとモダンの中間に立つミュージシャンだから中間派。誠に判りやすい。但し、この中間派と呼ばれる為には後々のモダン派ミュージシャンへの影響力がモノを云う。
レスターはそう言う点でも同じカウント・ベイシー楽団のテナー奏者ワーデル・グレイを始め前回この本📖´-で村上春樹が推していたスタン・ゲッツなどもレスターそっくりだ。テナーもアルトも両刀使いだったソニー・スティットもパーカーやレスター譲りのソロを吹いた。その肝心のレスターは、若き日にビックスとフランキー・トラムバウアーの相乗効果で有名な♫Singin' The Blues
のレコードをそれこそ擦り切れるほど聴いたと云う。あの二人の寛ぎに満ちたコルネットとCメロディー・サックス(ソプラノサックスとも違う。アルトとテナーの中間音)のチェースが、現実でギスギスして辛酸を舐めるような私生活を送っていたレスターが聴いて束の間の現実逃避が出来たのだ。そのフランキー・トラムバウアーの滑らかなフレイジングから強く影響を受けたレスターには、当時既にジャズ界を席巻していたテナー奏者コールマン・ホーキンスが激しいブロウでギャラリーを喜ばせ、バンド仲間を鼓舞する様が段々と違和感を醸成してゆく。当時の狭いジャズ界においてサックス🎷は総じてホーキンス張りのブリブリ・ビブラート一択の様相を呈していたが、レスターは敢えてそんな流れに"NO"を突きつけたのだ。レスターのソロスタイルはホーキンスのそれに比べたらまるで正反対。ビブラートはノンブレスで直線的、必要以上の音数を吹かない、カウント・ベイシー楽団時代のレスターは震えないビブラート以外はホーキンス張りだったが、年月が経てば経つほどその音数が少なくなっていった。これはボスであったカウント・ベイシーのピアノスタイルである所謂、節約奏法スタイルをピアノからサックスに置き換えた奏法だ。そう考えるのが自然であろう。1933年、レスターは初めてカンサスシティーでカウント・ベイシー楽団に参加した頃、カンサスシティ(以下KCと表記)の有名なクラブチェリー・ブロッサムにコールマン・ホーキンスが出ているという噂が瞬く間に町中に流れ、30分と経たずしてレスター・ヤングやベン・ウェブスター、ハーシャル・エヴァンスなど若くて活きのいいサックス奏者らが続々とクラブにプレイしに詰め掛けてきた。ホーキンス(以下、ビーンと表記)はKCのテナープレイヤーがどんだけのものなのかは知らなかった。「ビーンは一晩中プレイした」が、太刀打ち出来なかったという。その日のうちにビーンは当時専属だったフレッチャー・ヘンダーソン楽団とセントルイスに移動しなければならず、レスターらがベン達とセッションしている間、ずっと自分が入る隙を伺っていたが遂にタイムオーバーとなりセッションに加わることは遂に出来なかった。つまりは一晩中プレイしてなんかいなかったのが事の真祖のようだ。これはレスター寄りの者たちによる「ホーキンスの敗北」神話であり、この話がベースとなり尾ヒレが付いて流布したらしい。ホーキンスがレスターに敗北した、という話がひと頃のジャズ本には必ず書かれていたものであり、さもレスターとビーンがテナバトルの一騎打をしてレスターが勝った、という話はでっち上げだったことがデイヴ・ゲリーのジャズマスターピースシリーズのレスターの伝記を読むと、最初から闘っていないことが判る。しかもレスターはビーン以外のミュージシャンとそこでセッションしていた訳で、ビーンは土俵にすら昇れていないことが、上記の記述でハッキリする。フレッチャー・ヘンダーソン楽団の移動でタイムオーバーとなった口述をしたのはレスターらと同時期にKCでピアノを弾いていたメリー・ルー・ウィリアムズ女史の証言だからほぼ間違いない。正確なジャズ史は如何に客観的な意見を口述或いは記述しているかを読む側がキチンと選別しなければならない良き例であろう。
さて、前置きが長くなったがレスターのノーマン・グランツコレクションで村上春樹が二番目に取り上げたのが『COLLATS』である。まだマーキュリー時代の1951年に10インチアルバムとしてリリースされた初期のアルバム形態である。我々が今日び、LPとして認識しているアナログ盤は30cmの直径でこれが12インチ盤となる。10インチは直径25cmである。現在出回っているLPよりかはやや小さい。この10インチ盤は現在殆ど見なくなった。大滝詠一は1977年にコロムビアから自分が手掛けたCMソングの音源をLPでリリースしたが、4年後にCBSソニーからリリースしたコロムビア時代の旧譜をリイシューした際にこの『NIAGARA CM SPECIAL VOLUME.2』として10インチ盤で敢えて出した。大滝さんとしてはレコードの変遷の中でLPの12インチの前に10インチの時代があった事を形として残しておきたかったのであろう。それだけ歴史を重んじていたミュージシャンであったということである。
話が逸れたが、そのレスターの『COLLATS』から本日は往年のスタンダード♫Polka Dots and Moonbeams を紹介する。このアルバムリリース当時、ノーマンはビニライト盤のアルバムと同時に2曲が表裏にプレスされたシェラック素材のSP盤もリリースしている。つまりはバラ売りしていたのである。素晴らしき商魂だが、実際にまだビニライト盤の普及率が上昇していなかった頃の話だから、SP盤リリースはある意味必定だったのかもしれない。私は中古レコード店でこの♫ポルカドッツ… と♫ Too Marvelous For Words と
♫ Frenesi の3枚をSP盤で買った覚えがある。計8曲入りのアルバムだったからあと1枚見付けられたらこのアルバムのSP盤を全て揃えられたのだが、惜しかった。
続



ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス
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