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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

アイオワから来た男 # 5

☆『ウォルベリンズのレコード効果.2』

1924年5月と6月更にウォルヴェリンズの2回、3回目の録音が成功裡に収録される。ホーギー・カーマイケルがビックスのために書き下ろした♫
Riverboat shaffle とODJB、NORKのレパートリーから♫Tiger Rag ♫Royal Garden Bluesの2曲。
ウルヴェリンズのバンドリーダー、チャーリーデイヴィスの新作♫Copenhargen それに
♫Oh、Baby ♫Susie ♫I Need Some PEttin という流行歌謡が3曲である。先に紹介した2月の吹き込みに比べると、ビックスはその吹奏に進境が著しく自信を深めていて、キング・オリバー楽団に傾倒した当時の成果とも云うべきブルース表現が認められる。一説によれば、ビックスはオリヴァー楽団から自由に飛び入りを歓迎された数少ない演奏家のひとりだったと云う。ジレットがバンジョーをギターに持ち替えた♫Riverboat Shaffle
 はビックスがブルースの楽句を非ブルースの曲構造に、どれほど巧みに組み込めたかを示すいい例である。


※ ウルベリンズ時代のビックス(右から2人目)
 日本にビックスをいち早く紹介した終戦後の河野隆次氏
 2003年平成15年にビックスの生誕100年を記念して開催された我が国のディキシーバンド公演のパンフ
 人気作家村上春樹もビックスをこよなく愛する1人である。
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Riverboat Shuffle

ビックス・バイダーベック

スイングの星スイングの星
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GRAVITY21
マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

Uber Jazz ♯ 29

 ☆『ウィスコンシンから来た男』
 
今回からはスイング時代の白人名ペッターバニーベリガンの女性シンガーの歌声を紹介してゆく。バニーは1908年(明治41年)11月2日にアメリカ・ウィスコンシン州カルメットタウン、ヒルバートに生まれた。私の祖父と同い年だ❤️13歳でメリルオウエンのベニシージャズバンドで演奏していた。やがてローカルバンドを渡り歩き腕を磨いてウィスコンシン州立大学のカレッジバンドから州立大学生では無かったにも関わらず、招かれて花形ペッターとしてその名を轟かせたと云う。 
 1920年代には世界初のジャズレコードを吹き込んだODJB=オリジナルディキシーランドジャズバンドのライバルバンド、NORK=ニューオーリンズリズムキングスのステージに飛び入り演奏した経験もある。1928年、ダンスバンドとして有名なハルケンプ楽団に認められてリーダーから入団の誘いを受けたがフリーランサーとして多忙な日々を送っていたバニーは一旦保留にし、正式加入は1930年春のことであった。その間には伝説の白人ジャズペッターの嚆矢と言われたビックスバイダーベックとも念願の共演を果たした。サイドマン時代のベニーグッドマンやジャズトロンボーンニストの雄、ジャックTガーデンらとの多数録音を残している。そしてドーシーブラザーズバンドに加入して有名なビングクロスビーやボズウェルシスターズのレコードで素晴らしい演奏を披露して数々のヒット作に寄与した。バニーのペットスタイルの特徴はルイアームストロングのパワフルさとビックスのロマンチシズムを折衷したエモーショナルなもので、白人ペッターとしては一早くルイのハイノートに迫る高音域を易々と吹くことが出来て並みいるペッター達を羨ましがらせた。そしてその真逆の所謂ダーティートーンと呼ばれるブルースフィーリングまでも表現出来、アタックの強さからリリシズムに富んだデリケートな演奏まで自由自在なスタンスに後輩ペッターは皆憧れて、同時代の黒人ペッター、例えばロイエルドリッチ、バッククレイトン、ハリーエディソン、クーティーウィリアムス、レックススチュアートらに唯一対抗し得る白人ペッターとして崇められた。本回は彼の代表作を添付する。ルイアームストロングもバニーには一目置いてこの楽曲だけはカバーしようとはしなかった。

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I Can't Get Started

Bunny Berigan

スイングの星スイングの星
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