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★tom★
娘が昨日、柔道の授業で黙想を教えてもらってきた
瞑想とは違い、少し半目を開けてやるらしい、座って手を重ねる意味は片方の手は欲で片方の手は理性
欲を抑えて静かに自分を整える作業みたい
瞑想はやるけど、黙想はないな、半目開ける事がむしろ難しくて断念w
masa🎵🎧
#黙想
#死なない命は必ずある
#現世を出て神の国へ
#宗教は全て嘘


芽生
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7:7-8)
小さい頃、肝試しをした。
いつも遊んでいる教会と打って変わって暗い世界の中に1人放り出された。もう、小学生だからと言われて1人だった。はじめはサクサク進めたが途中で脅かされ、足がすくんで動けなくなった。最後は泣きながら出口まで行き、出迎えの大人たちに笑われた。今では、それが子どものことを微笑ましく思っていただけなのだと理解出来る。ただ、その時は自分が悪い意味で笑われているのだと、馬鹿にされているものなのだと感じて悔しかった。それをよく覚えている。
いつからか自分は、自分なんか……何事も否定的に考えがちになった。自分が悪いとか自分が罪深くて嫌になるとか、そういう否定的な感情に呑み込まれやすい。単純に、悪く考える方が腹持ちのいいんだろうなと思う。そんな自分であっても、求め、探し、門を叩くことはできるのだろうかと常々感じる聖書箇所だ。救いを求めて、探す時、門を叩く時、必ず綺麗な自分である必要はないと思う。どんなに未熟であっても、弱くても、見るに堪えない生活をしていても、それでも救いが自分のために備えられている。自分なんか…と暗くて先の見えない怖さを感じても、進んだ先には神がいる。その事を素直に信じて行けたら1番いいなと思うが、難しい。でも、そうなりたい。
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