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楓花(ふうか)
2014年
「女子」が「女性」になれなくて。
ここらへんがいわゆる男性を弄ぶ「女子」に
対しての「ヘイト」の代表的な理由のまとめになる。
うっふ〜、角が尖ってんねぇ〜
ようやくらしくなってきたわ。
といっても言ってることはまだまだマトモ。
家族社会学で学んだことが遺憾なく発揮されてる。
今ならもっとおふざけするだろうな。




楓花(ふうか)
2015年
「女神を求めて」
恋人じゃなくて良い、異性の人で話し合える人が欲しいのです。
でも私の性格は超ストレート、真っ正直で正論っていえば正論。
女性が嫌がるタイプかもしれない。感情に共感することはできても前向き思考が働いて
すぐになにかアドバイスをいいだす。そんなの相手は求めてないって分かっていながら。
私の性格そのものに問題があって、衝動的だし、破壊的だし、無茶をやりたがる。
その子供らしさを押し殺して紳士になろうとしても自分が辛くなるだけなのでやめた。
子供でいよう、いつまでもカブトムシ見つけたら喜んで、竹切ってちゃんばらして喜んで、
ダンボールを繋ぎ合わせて作った車で遊ぶようなそんな子供でいようって決めた。
大人になるってなんだ、って時々いろんな人がいうけれど、
私は大人っていうものは単純に年齢のことを指しているだけであって、
心が大人な人間なんて一人もいないんだ、って思ってる。
しかも私のように人間とその関係性を大切にする子供でなくて、
完全に自分のことしか頭にない子供。そんなんばっかりだ。
そしてそれを「忙しいから」とか「それが社会だから」とかで言い訳して
自己中心性を隠そうとする子供。私にとってはそういう子供が動かしてる世界は悪夢でしかない。
自己中でも構わないでもその自分は誰に支えられて生きているの?
周りの人間だ。周りの人間が「めんどうだなぁ」と思いながら支えてるわけだ。
その周りの人間大切に出来ないで、何が「自立した大人」だ、ふざけんな
ガキ以下のガキだってね。
じゃあ私はどうなるの?私はどういう人間?
私は子供、そう、まだ誰かの支えが必要な子供。支えてくれる人を何よりも大切にして
それ以上のものを返そうとしている人間。
でも支えが足りないんだ。足りなかったんだ。
子供の頃から犬小屋に入れられて、小中の頃の記憶は数字と文字の羅列だけ。
高校で夢をへし折られて病気になって、9年間、騙され裏切られ、苦しんで生きてきた。
私は子供。でも体中あざだらけになって、おもちゃを片手に持って、
一緒に遊ぼうって笑いながら誰かを求める子供なんだ。
それに付き合ってくれる人がどこにいる?
そんな女神みたいな人がどこにいる?
でも探してるんだ。
ずっと、探してるんだ。
楓花(ふうか)
2015年
「めんどくさがりや」
お互い何を大切に出来るか、なんだよなぁ。
人生で大切なのはなんですか?
お金?自分?友達付き合い?
私が思ってるのは「人間関係において発生する義務と責任」
こう書いたら堅苦しく感じるけど、簡単にいってしまえば
「人間関係めんどくさいけどそれをよしとするかどうか」なんだよね。
今の時代便利になりました。
人との縁が簡単につながれるし、簡単に切れる時代になりました。
その結果「めんどくさがりや」が増えました。
人からメッセージを受け取っても返さない、自分の都合で人間関係切り捨てる、
惰性で付き合うのが一番でそれ以上踏み込まれると即切る。
それって相手を大切としてないと同時に、自分を大切にしてないのと同じなんだよね。
だって自分は自分ひとりで生きてるわけじゃない。様々なネットワーク、人間関係を
通して生きてるのにそれを大切にできなきゃ、自分というものは簡単に崩壊してしまう。
人という字は人と人が支えあって生きている
って言葉あったけれど、今じゃどっちだけが支えてる状態だもんね。
人というものを大切にして欲しい。
それが出来る人が増えて欲しい。
そう思います。
ちょうどLINEの「既読無視」問題が初めてちょいちょい出てきた頃。
この感覚、今の若い子には分からんかもね…
「え、何が悪いん?」やろうな。
私も説明しにくい。
現実の血肉に関係するようなもので、
それを言葉で伝えることは出来ない。
人間一人の体を一度でも隅から隅までこねくり回してみな。
自分の食ってる魚やら鳥やらを自分で解体してみな。
そしたら少しだけ、ほんの少しだけ、分かるかもしれない。
楓花(ふうか)
2016年3月15日
「私たちは何になったつもりでいるんだろう」
子供を産みたい人が産めばいい、って考えだと
いずれ社会は滅びると思うのよね。
働きたい人が働けばいい、っていうのと同じでさ。
それでも価値の多様化が必要だ、っていうんなら
それで犠牲になるものを補えるだけの解決策が必要だよね。
子供が試験管で作れればいいのかな
食べ物が無から作れるようになったらいいのかな
まぁ上は極論。
だけどその意識は持ってないと世界が歪んでしまうよ。
結局私たちは突き詰めたら動物の一種でしかない、ということを
理解していなくちゃ。
これは今まさに直面してる危機よな。
当時から進行していたけど、もう引き返せない段階まで来てしまったのがこの今だ。
そしてその解決策はいまだに見つかっていない。
どうすんだろね。そういう「放棄」しちゃった人達は。
楓花(ふうか)
今月は色々あった。
想定外の出費がかさみ、危機的状況に瀕していた。
とりあえず売って金になりそうなものを目の前に集めてなんとかならないかとふたりで腕を組んでうーん、と唸っていた。
彼女も自分のものを差し出そうとしたが、それは私はダメだ、といった。
必死に頭をフル回転させている私のそばに彼女はずっといてくれた。
最後はもう恥をかき捨てて親にすがりついた。
なんとかなりそうになった。感謝である。
彼女は不安そうだった。私も不安だった。
でも、私のために不安がってくれて
潤んだ目で見つめてくれる彼女が愛おしくなった。
抱きしめ合う、それだけで全てほぐれた。
魂を共有し合う相手だから、自分の大切なものも相手のためなら捧げようと思える。
そんな相手がいてくれる、その喜びは双方向にある。
バカな番組をみて笑って、私はそれに倣って手紙なんかを書いてみた。
彼女が見せろ見せろと足に頬ずりしてくるのをなんとか止めつつ、本音9割、おちゃらけ1割の手紙を落書き帳に書ききった。
それを読んだ彼女は泣きそうになっていて、涙声で
「これはずっと大切にする」と言った。
なんて可愛いんだろうとまた抱きしめた。
うちらなんて可愛い時期があったのかしら!!
こういうのは残しておいて正解やったと思う。
「そうやったねぇ…」って思い返せる。
で、私はその時なんて手紙を書いたのか、忘れた。
楓花(ふうか)
絵を描くことというのは、恋人とのデートによく似ている。
彼女をまずどこに連れて行くか、それを考えるのはセンス。
そしてどんな手段で行くか、つまり乗り物が技術に例えられる。
乗り物が早ければ早いほど、様々なところに瞬時に行くことができるだろう。
しかし連れて行く場所がチンケな場所だったりありきたりの場所だったりすると彼女はがっかりするだろう。
乗り物がなくて徒歩の場合、一つのところに連れて行くにも一苦労だろう。
しかし連れて行く場所が唯一無二の場所だったり、素敵なところであれば彼女は喜ぶだろう。
こうして考えれば技術よりセンスが大切だということはやはり明確なのだ。
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