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ナッツ
高橋源一郎
『君が代は千代に八千代に』
殺しのライセンス
誰かが生きながらえようとすれば、誰かが殺される、そんな世だった。
星の輝きのためには、悲劇が描かれて…
誰が殺されているのかを太陽はしらない…
「殺しってなんだか晩餐のような静けさなんだな。やっと少しだけわかったような気がしたよ。誰にも教えてもらえなかったからね。生きようとすることにだって、ライセンスを必要とするんだからね。」
誰が生きてるかなんて想像したくもないな。僕を殺しにくる人のことなんて、想像したくない。
そして、僕が殺しにいく人のことなんて…。
小説っていうのは想像することなんだってさ、
知らなかったよ…
Black Swallow I

ナッツ
戦後空間研究会
『戦後空間史』
ぼくたち街を歩いたよ、駅のホームを駆けていくぼくたちは街を、焼ける前の思い出の街を歩いたんだ。街は歩ける、歩いたぶんだけ街になる。足跡はもちろん、残る。残った跡の人のいなくなった場所に街はひろがっていく。だから歴史は時代区分として読まれるのでなく、それは街の芽と枯れた街の行先の、余地としての空間を歩くことなんだよ。
街には街の人がいた。それは遠い過去のこと。
街には街の川があり、街には街の空があった。
それは思い出すなり過去のこと。
街には街の夜がきて、街には街の春がきた。
街には街の蝶がいて、街には街の猫がいた。
街には街の声がして、街には街の喧嘩があった。
街には街の風邪をひき、街には街の傷を負った。
それは街の記憶にもならないくらい昔のことで、たくさん焼けて、たくさん流された後のこと。
歩かなくなった街には誰の思い出も残らないから、街が無人の路地で立ち止まっているみたいだね。街に話しかけている人の知らない今夜は、街の明かりの点滅が人を呼んでいるんだよ。
春からの電話

ナッツ
東浩紀
『郵便的不安たち#』
感情は 論理のまばたきの隙に
落下する涙
なのだから、読んでいて寂しくならない論理
というのもあるんだろう。
時間をかけながら、泣く
めくるページへ、一粒一粒落としていけば
解るのをあせらなくて、いい。
送られてくる手紙は
ひらける作業に
もっとも、時間をかけてやろう。
低音の抑制的な声色
醸造酒の香り
煙る視界
単独であれ、たどり着いた人々の息で本を、
読むこと、それが
歩くように健やかな、思慮とならん。
あたたかさより、暗に伝えられる秘事は
メッセージ
のメッセージ
messengersの微笑み
我々 と 彼等
の慰みの、メッセージ
不安に、自分宛にも書けないのが詩 だが
いつしか、
ことばたちは
飼い慣らされた楽園で出会う
はぐれもの ということがない星座のよう。
泣かない大人のよう。

ナッツ
高橋源一郎
『君が代は千代に八千代に』
Mother Father Brother Sister
何かが書かれているから小説であるのは言うまでもないけど、何を書いているかがわかってしまってはいけないような気がしている。
ほんとうのことは誰にもわからないように書かれているんじゃないだろうか。
もちろん、ニホンのある問題が書かれているんだろうと思う…でも、問題がうまれる前には争いがあるんだと言った人がいて、ニホンの問題とされる前には私たちのちいさな争いが蠢いてるんだ。
問題が問題だとわかるには、その前にしっかりとちいさな争いを観察する必要がある。
そう、僕たちは生きていて、生きているだけでも、怒ったり悲しくなったり、嫉妬したり貶めたりする。
それらをしっかりみること。しっかりとみて、それから問題をわかるんでも遅くはないと思う。しっかりみることができれば自分で問題をつくることだってできるだろう。
ただ、僕たちは僕たち自身のことをなんにもみえていないから、問題もわからないし自分で問題をつくることもできない。
僕たちは何をみてきたんだろうか。
問題や言葉ばかりをみて、わかったことにしているだけなんじゃないか。
「問題は誰もちゃんと聞いていないことだ」
もう誰も聞いていないのに、言葉だけが山積みにされている。それがどんな問題なのかは誰もわかっちゃいない。
死者のように誰にも言葉が通じない…だから、
まずはその人の生きている声に姿に、きちんと耳を澄ましてみるんだ。
そうすれば目の前にいる家族だって、それがどんな関係なのかわかるはずなんだ。
Family Song

ナッツ
吉増剛造
『吉増剛造詩集』
穿たれた紙片の、焦げた匂い、さそわれ、
ガラスから漏れた陽光に逆らいながら列車は、
尾をひく、
「魔」とは離れ離れに、胸はちいさく、
吸い込む風のつよさに肺は凍えて、
やがて、キャベツが黒く萎びて…
塵の街、氷の家、
灯油の「魔」の匂いに部屋は焼かれて、
無謬の世界に行く駅の、
照らされた花、
(walk、walk)
夜なれど、
花はこの世の誤りなのだ
「疾走詩篇」は、
裂かれたあとに咲く、
季節をまたぐくらいなら、
裂けろ、今生の詩になるな!
分岐路に運ばれる詩篇のみ、
「魔」の一行は千々に別れ、
瞬間の火花の喉を覗くのだ
String Quartet No. 2 in F-Sharp Minor, Op. 10: II. Sehr rasch

ナッツ
番外編 鑑賞録
ジム・ジャームッシュ
『パターソン』
枯れた稲穂は黄土色に
(それはこがね色をしていない)
雀が4羽、10羽、8羽……数えきれない
入れ替わり
手に落ちる羽虫
翠色の手紙を出したあとなのに、、
帰る街には
翻訳のような日本語は
日本語のような詩は
話されない…
愛されなくなったものは煙に
"throw"
聴こえない…
あれほど地面を輝かせていたのに
太陽を
見られない…
「would you rather be a fish?」
warter fall
「月下の一群」で
頭を撫でていて、雨
忘れてくれない身体
愛していないのよ
インドの裏側に
色をわける線
黒い遮光カアテン
between the lines
死ぬまえに
声を聴かせてくれ
Drive My Car (Kafuku)

ナッツ
町田康
『告白』
ほれ、言うたでぇ、ちゃんとまえ見ときっ
下向いて歩いとらんと、まえ見ぃ
いや、ほなけどなぁ
したにあるもんもあるで
したにしか無いもんもあるけん
した向かな、歩けんのじょ
子供が子供でいられることで、なんのええこともない。ほなけど、子供の頃の悪いこともつまらんこともぜんぶ、意味わからんままの成長になっててすごいよなぁ…。
どないなっとん、これ。
いまでも、なんでか子供みたいに過ごっしょるけど、友達も子供みたいなんばっかりで、子供の時代だったんかってくらい私やの世代は泣いとる。泣いたままにさせられて、泣いとることも誰もほったらかし。
なんなん、これ。
あの時、頭ええフリして馬鹿にしてた自分の恥ずかしい姿も思い出して、また泣いてまうわ。
なにをやっとんやろ……、私ら。
ええかげんにしぃだ。
泣いてることまで、ええ子のフリせんでええんちゃうん、もうええんちゃうん?大人のフリは。
どこかで、まちごうたんとちゃうわ。
ずっと泣いとっただけやけん。
これも私やけん。
これから先
まちごうても、泣いてる人が泣いたらいい。
メガネや、何回でも拭いたらいい。
恥じかいて情け無い顔みせて
やっていったらええんちゃうん。
ずっと、ずうーっと書いてみるんも、なにやってんのかわからんくなって楽しいで。
Too Proud (feat. Jevon)

ナッツ
千葉雅也 他
『思弁的実在論と現代について
千葉雅也対談集』
ポスト精神分析的人間へ
ーーーメンタルヘルス時代の〈生活〉
×松本卓也
私の記憶からあの人の風景へ
隣の人は誰だか
「ほんとう」って、壊れるもの
終わらない(陥没と波)
眼窩に雲間の青さ
病めない心を、またリセット
みずからの始まりの全体になる
ふふふふふふふ
回遊しながら笑い
空しくない、バイバイ私たち
何度も毎日それでも、生々しく驚いて
いつもカタワレを歩いてみて
歩いた徒労
不和の発見
そういうものものを話せること
ひとつの銀河
目の前の人と洞窟
ひとりではいられない身体だから、ふくらみがたくさんあるんだ
争っている読書を
詩の喘ぎだした声にまかせて…
Come Here Go There

ナッツ
フランツ•カフカ
『審判』
「K」が、逃れられない罪を被っているなら私たちにするべきことなどないように、物語は逃れられない時間の進行によって私たちに読むべきことなど与えられないまま、「K」とは無意味に私たちの物語は書かれてしまい消されてしまいます。「あなたはあなたのことを聴いていてください。」「自分自身の自問自答に狂わねばなりません。」「そして、誰の問いにも答える権利を行使するのです。」私たちはそのように目の前の画面に向かってひとりでに喋りかけていました、が、羊毛のセーターに包まれた男が背後から覗き込んできて私たちの心中に手を差し出しすと、気持ちとは裏腹に訳もない言葉を吐き出して隅々にまで自分の分身を語らせようとするのです。
この世界にはどこからか人間がやって来ては去る機械原理がそなわっているだと思わずにはいられません。私たちはどこから来て、どこへ行くのか知る義務があるように生きています。すなわち、「K」が今も尚この世界のどこからか来ては去り、私たちの心をからめとっていく物語が書かれているのです。私たちが生きている以上、いつもなんらかの争いが生まれているのですが、すると後から知らない顔をした「問題」や「物語」がやって来ては去っていくのです。これを、人間が小説と呼びはじめてから数百年が経とうとしています。そして、私たちは誰も真実を語らなくなったのです。
夜のガスパール: 第2曲: 絞首台

ナッツ
古川日出男
『ベルカ、吠えないのか?』
届け!
その声が、血の大きな流れの絶たれる瞬間まで。
人間の頭の中に爆弾を植えつけて、
あらゆる意味の地層の上を駆け、
交じり合う声の威光で、
渦巻く言葉の中心に逆らい、
散り散りに走れ!
速さは、ない。だが、止まっていた時限爆弾を進めろ。今の生きる、一瞬のあいだに、小さく死んでいく声を聴け!自らの声ではない。あらゆる生きものの反響音だ。イヌに吠える運命があるように、頭を垂れるがいい。
そこに居て、いつまでも聴いてみろ。
HOWL
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ナッツ
松下育男
『これから詩を読み、書くひとのための
詩の教室』
詩がなんであるかの前にまず、詩をあなたのものとして考えていいということです。それぞれに自らへの詩人になってみようということです。
「自分には書ける言葉があるという小さな誇りのようなものとしての詩があっていいと思う。
ここにいるぼくらには詩が書けます。その詩に、たまにはぼくらの支えになってもらってバチはあたらない。詩の一行を一本の杖のようにして身をもたせかけてもかまわない。詩の一行一行を柵のようにして自分のまわりにめぐらし、守ってもらってもいい。」
冬になって冷凍みかんの味を知った夜だけど、本は閉じれば何を考えていたのか忘れてしまう。実の味のしなくなったスジまで噛みつづけていれば、思い出しそうな気がして飲みこむ。いつも考えているときは、考えるべきことは何も決まっていない。だから詩のことは考えうる限りのことを考えていいはずなのに、何を考えられるのかわからないまま書くしかない。これが、そうだ。
詩ばかりの世界のなか、詩でないことばかりの生活なんじゃないかと心配するけど、詩と詩でないことの間には境や対であることもないんじゃないかと思う。詩とそうでないもの……と音楽を聴きながら夜中に考えることは詩でもなんでもないけど、ギターの音と歌声が聴こえているのに詩でもないことが頭の中を巡っていくのは、わたしの、わたしだけの詩の形がつくられている時間なんだ。音楽はしだいに聴く時間を追い越してとてつもない速さでつくられるんだけど、わたしの時間とギターの音がおんなじ時間を流れているかどうかより、わたしがギターの音に考えを遮られたり考えに情緒をふくんだりすることに、詩の形の時間なのか、詩の時間の形なのか、わからないことがいっぱいあって、書くことがとまらないのに充電やインクによって詩の話が続けられないことのほうが寂しさが強いんだ…。
Feel

ナッツ
オスカー•ワイルド
『サロメ』
「いゝえ。月は月のやう、たゞそれだけのことにございます。」
モリッシー(ザ•スミス)の望みは叶えられるに至った、ただそれだけのわたしを置いて。
切望することほど悲劇的なことはない。。。。
何を望んでいてもそれは死に値するだろう、黒い鳥も銀の花も紅い月も、すべての隠喩は死に囲われた世界の病なのか、ああ、預言者の、王の、くりかえされる切望はすべて………。
モリッシー、その歌声は泣いているの、
「でも、どうやらあなたはあの男を恐れておいでらしい……とにかく、私にはよくわかります、あなたがあの男を恐れておいでのことが。」
あなたにはいつまでも恐れていてほしい、
あなたはあの男のようにはならないし、あなたはあなたのように死ぬのよ。そう、ただそれだけのわたしを泣くの。ただ、それだけの、涙。


Death of a Disco Dancer

ナッツ
松下育男
『これからも詩を読み、書く人のための
詩の教室』
冷凍みかんが歯に沁み入る夜に『死亡遊戯』を観ながら詩のことを考えていた。映画の中のブルース•リーはさらに強い敵を倒しながら、傷を負って進むのを笑っていた。闘うことの強さが残ったのではなくて、傷と微笑みと眼光のフィルムに命が焼きついたのじゃないだろうか。
息づかい、間合い、足のリズムは詩の導火線についた火花のように散っている。まわっている体の芯から重力を引き摺り出し伸びてゆく爪先まで、折れることはない首。睨む間の首は、死の覚悟に曝け出している自然そのものだった。生の躍動とは相容れない死する全ての生命への宣告のように、階段を駆け上がっていった…。
夕方、編まれた一本の黄色い糸の切断。オルガンの音色に似たエレクトリックギターの引き伸ばされた讃美。ああ、日々を記すことは宣告することのように致命的な。遅れた意識の発見により、死が生を追い越してゆく。生きていることより死んでしまったものたちの痕が…書き悩むあらゆる日記をつくっていくのだ。
わたしの地方では雪の降らない日が続く。
詩の教室で話されていたことも雪のようには積もらないのだが、指先の熱にこの本が燃えている。

ナッツ
都築響一
『夜露死苦現代詩』
何かを 考え なければ いけない とても 大きな 思う 人 ら 寂し んでない とても わからない 夜 と もうひとつ 夜 走って ゆく おもい 数える まだ あばれては いけない 数え 終えたら 夜を 走っていい のだと おしえて くれた おもい なげすて 凍える 朝 からまる 虹 を肩 に 背負う 山 には 登ったきり 帰らない 鳥のような 人と別れられない 雲は 遠ざかって ゆく 行方の知らない 人 布団の 中 に白く なる のは冬の 雪の おもい せまる 朝 かるく なって ゆく のは 命 と 入れ替わる 朝と夜 の はやさが すれ ちがう から やがて はぐれる 時間 飲み食い も できなく なる 言葉 を 真っ直ぐ 穴 に通す ように 書く 字 の 数分だけ あわさる 脈拍 に生きながらえる なら 言葉 の 時限装置 と 言えば 雪の降る 底 の 沈殿 された こえ に あやまらないで 伝えて 書いたら あやまった 日々 の 母 へ 降って しまえる 枯葉 を もう一度 踏み ふみ ふみ ならし ワイ イー エス 誰にも 聞こえていない 人 から 返事 聴こえ 朽ちる 笑顔 泡沫の 雪 のように かさなる あわさる 眼 は つねに ふるえる のだから はじける 瞬間 入れ替わる 朝と夜 も 見過ごさず 安心 して 泣く といい 喜び に 満ちる 貧しさ は やがて やがて 貧しいこと 呼吸の ながさ 間隔 の あいてゆく 詰まるおもい も 三千世界 の 記憶 に してゆこう
Setsu

ナッツ
古川日出男
『ベルカ、吠えないのか?』
お前は今も戦禍のなかを歩いているのか…
すでに内臓の言語が聴こえなくなっているから。
映像、、映像、映像、映像映像映像映像映像映像の音声も吠えろ、
夜はしずかだ……、吠えろ。
もう一度、吠えろ…。
1975年にそこに居た、お前の声を聴きたい
喰われていったベトナムの土の中まで。
なぜ望む…?
お前たちに望むことなどない。
ただ、破裂音や爆発音や、すれ違う人のおしゃべりがうるさいだけだ。波の音を受けとるのは、いつも静かな波を聴いてる人だけだ。
き、こえる き、く
命はどっちだ。
耳を唇と寝かせて、待ちながら、
泣く、新しい生まれくるのは人間だけじゃない。
今。動物の声、は。なめらかな音声の。再生。
再生される。ソ連もアポロも紀元も命も。
知らない。喉元を。咬み殺し。若い。牙。で。
何度も。命の再生する映像。を、嗅ぎつけ。
這いだしてきたのは。お前の。声だ。
死ぬのは。お前の。
吠えるための。絶対条件だ。から。
お前は、もう、二度と、生まれない。
Territorial Pissings

ナッツ
大江健三郎
『われらの時代』
今この何かが書かれるまでの間、歓楽街の賑やかな性処理のように言葉が流されていく。「時代」というのもまた似たように流される仮想空間においては、時間という死と反対に流される意識の持続もない。書きながらにして、死ぬ。という空間に書かれた言葉の亡骸を見つめていると、「われら」が誰の眼にも映ってはいないのだ。撮られて縁取られた言葉は、死体愛好家の下品極まりないコレクションと間違えられそうである。
また、自意識は過剰なほど筆が走り反響も大きい。返される言葉の応酬に、汗をかいた茶色い背中を想像して書いてみることもまた、意識の時代への貢献のようでつまらないではないか。
儚いとは、はかがないことであり、書くことなどはなからなかったことに耽ることだ。もう一度、読み直してみてもまた、同じようなことを書くのにそれは何故書かれなかったことなのか、考えようとして読まれたい。
そのようになら書かれている間にも、眺めている死体がいみじくも言葉のフリをしているのに気づくだろう。言葉はそれ自体遊ばれるのに喜ぶ。
ピアノ協奏曲 ト長調 第3楽章: Presto
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