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読書しました。
2020年代の想像力
文化時評アーカイブス2021-23
宇野常寛 著
ハヤカワ新書
エンターテインメント作品を元ネタに社会や政治の批評をやるのは斬新だなと思いました。
エンターテインメント作品は単なる娯楽ではなく、製作者の人生や社会の空気感と密接に相互作用しているんだなとわかりました。
ただ作品の方向性における理想論を掲げすぎて、作品や製作者に対する批判のための批判になっているところも見受けられました。
著者の主張はアクが強いので万人受けするとは思いませんが、こういう見方もあるんだなと楽しませていただきました。
#読書
#読書感想文
#サブカル
#エンターテインメント
#評論

読書術研究家
林房雄の「青年」
「作品は作品を書いている時が一番正しい」とは君の口癖だ。
#小林秀雄 #林房雄 #読了 #評論 #芸術


なーぽん
『疑いは知の基である。よく疑う者はよく知る人である」』
物理学を通し、事象に対しての「知ること 疑うこと」二つの重要性が書かれている随筆。
1つのことを知れば、それを疑う1が付き纏う。だがその事実を把握している限りは盲目的になることは避けられる。
本文の中で
【初めて馬を見た人と、既に馬を知っている人】
の話がある。
初めて馬を見た人は「あの生物は人を食うのか?」と問いかけるが
既に馬を知っている人は「そんなわけない、あれは人が乗ることもできるし、重い荷台を引いて遠くまで行くための生物だ」と問いに対して笑う。
しかし、疑わず「馬を知ったふり」をしている限り、見えていない馬の具体的な要素を知ることは出来ない。
馬を知らないと思う人は、馬に対して驚き、怪しみ、疑う。
疑い、知り、疑って、知る。
その連続が「馬」を本当に知ることへと導く。
僕らはどうしても答えが欲しいし、気が散って他のものも見なきゃならないから道半ばで回答を断定せざるを得ない。
知り、疑うことの重要性は、果てしない道が続いていることを示唆している。想像するだけで頭が痛い。
有名なニュートンの「りんごと万有引力」
りんごが落ちたことを疑ったが故に法則へと繋がったわけだが、この発見のためには非凡な準備素養があって成り立っていると書かれている。
探求心には探究心が必要。そして一つ一つを疑うことが大事であると。
僕は新天地を目指す者ではないし、事象の深さを考えるだけで頭は痛いけど、実体験をもってこれは「事実なんだろうな」と理解できる。
自身が疑うことなく信じていたモノを疑い捨てた時に道が開けたことは何度もある。
人の信じる力は限りなく強いけど、盲信は悪戯に自身の手脚を縛り身動きができなくなるだけだから、怖いけども「疑う」ことはとても大事なんだと改めて気づいた。
以後も新しい本を読み、その都度理解して自分の中で答えを出すだろうけど
それは「その時の解」であり普遍的な絶対ではないことを心がけよう。
つくづく果てしない。マジで。
#読了 #評論 #随筆

光子 (コウシ)
-アートは刻々と変化し続け、過去と未来につながるという意味で、好奇心のある者にとっては、限りなくおもしろい
僕がアートを見続けたのは、それが大事だと思ったからだけではない。おもしろいからだった。そして感動したからだ
自分個人の中に何かを蓄積すること-
-台座の上に置いたら彫刻に見える、見方を変えれば意味は変わる。これはアートになり得る。これをアートにしようとしたアーティストの視点の中にアートはある
-社会を変えることも彫刻といえる-
-現代アートは、崇高性を表現できる。それをもって、缶キャを包み込むことが出来る。このような体験をしたことがない日本の人たちは、結局現代美術の醍醐味が理解できないだろう。
そしてどのようにしたら、そのような体験を日本で創り出せるだろうか、という課題を抱えるようになった
アートとは、目の前に見えるものだけがアートではない。見えている以上のものを喚起し、想像させることの中にアートはある-
-ここでは空間、そしてその外に広がる広大な砂漠といった環境全体だ一つのアートになっている-
-常に自分の未来における「適応」に賭けていく
国際的なスタッフで仕事をするのは、いつも楽しい。変な感情的しこりや好き嫌い、人の噂話や嫌がらせのようなことにとらわれている余地はない-
-十和田の美術館は展覧会の拠点であるけれども、展覧会自体は、町の中に展開する
今の日本において、現代美術の重要な役割の一つは町づくり、地域復興である。
作家が来てイヴェントをしたり、市民との交流が生まれる
このような傾向が、一般の人達がアートに気楽に接し、楽しむ機会を増やしていることは確かだ
思想的に見ると、これは現代美術の民主化=デモクラタイゼーションであり、ポリティカリー・コレクトだといえるかもしれない
美術館やギャラリーのような恒久施設
ビエンナーレのような一時的な大型の展覧会の開始
街中に恒久的に置かれているパブリック・アート
この三つが都市の中で見えてくるアートと考え、それをどう組み合わせ、どう作り込むかが文化のポイントになってくるのではないか-
-批判的にもの事を見る精神-
”読んで良かった本”
#読書 #評論 #南條史生

光子 (コウシ)
文芸的な、余りに文芸的な』
-完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時にまた自己を告白せずには如何なる表現もできるものではない。
所詮告白文学その他の文学との境界線は見かけほどはっきりはしていないのである-
-世界の名選手さえ大抵は得意の微小のかげに 渋面面を隠している-
-鳥は現在にのみ生きるものである 。しかし、 我々人間は過去や未来に生なければならぬ。という意味は懺悔や憂慮の苦痛をも甞めなければならない。鳥は幸いにこの苦痛を知らぬ。三世の苦痛を知るものは我我人間のあるばかりである
もし幸福というものを普通の少ないことのみとすれば、蟻もまた我我よりは幸福であろう。
が、我我と同じように希望を持ち得るであろうか?
人間らしい 感情の全部は一層大切にしなければならぬ-
-芸術家は芸術と言えば、天下の宝のように思っている-
-「その罪を憎んでその人を憎まず 」とは必ずしも行うに難しいことではない。大抵の子は大抵の親にちゃんとこの格言を実行している-
-ただ僕の中の詩人を完成するために作っている-
-文芸上の極北は―あるいは最も文芸的な文芸は僕らを静かにするだけである。僕らはそれらの作品に接した時には恍惚となるより外に仕かたはない。
たとい微笑は含んでいても、いつもただ冷然として静かである-
#読書 #評論 #芥川龍之介

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