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クワガタ1975
85 カセットテープ③(全3回)
◆録音用のカセットテープ
中学生になると、音源の購入は専らCDになりますが、録音やダビングの媒体としては、大学生になってもMDが普及するまではカセットテープにお世話になりました。
アラフィフ以上の年代であれば、多くの方が1度くらい、好きな曲を集めたカセットを作ったことがあるかと思います。バンドの練習なんかも、まれにカセットで録ったりしていました。
◆カセットテープの種類
カセットテープにはノーマル、ハイポジション、メタルテープと少なくとも3種類ありました。音がもっさりしているノーマルテープはあまり使わず、音質と価格のバランスが良い(個人の感想です)ハイポジションを良く使っていました。
メタルテープは結構高くて、ごくまれにここぞというときに買っていた気がします。何がメタルなのかよく知りませんが、音も高音や低音がはっきりと出て、何となく金属的に感じました。
◆カセットのツメ
もう1つトリビアを思い出したのですが、音源用のものではカセットの上部に2つ穴があるのですが、録音用のものではこの穴にツメと呼ばれるものでフタがされていました。
録音したカセットにうっかり上書きで録音してしまうことを防ぐために、このツメを折ると、上書きして録音できないような仕組みになっていました。
今度はツメを折ったテープをまた再利用したいという場合、穴にセロテープを貼れば、音質は落ちますが上書きで録音できたと思います。
◆結び
わりとデジタル万歳、技術の進歩万歳な人間で、あの頃が良かったとかは1ミリも思わないのですが、それでも何かの機会にカセットテープやその話題を目にするとやはり懐かしく、ノスタルジーを感じます[穏やか]

クワガタ1975
84 カセットテープ②(全3回)
◆カセットテープのリスニング事情
ステレオコンポにもカセットデッキはありましたが、それとは別に、ラジカセ(という言葉も今の若い方に普通に通じるのか定かではありませんが)も買って、違う部屋で聞くときなどに使っていました。
カセットからカセットにダビング(という言葉も…以下同文)できるダブルラジカセ(同文)も便利でした。
最初の頃は元々音楽の入ったテープを買ったり、ラジオから録音した番組や曲もよく聴いていました。
◆クワガタ兄弟の音源としてのカセット購入
なんか小見出しの書き方がクドいのですが、録音用の空のテープと、普通に曲の入ったカセットテープと、両方が売っていました。
CDも音楽CDと、空のCD-ROMがあったのと、少し似た感じかもしれません。
曲の入った音源としてはCDが主流になった後も、録音媒体としてはその後も10年近くカセットが主流でした。
前置きが長くなりましたが、洋楽を聴き始めた頃、兄がフットルースのサントラやら、ケニー・ロギンスのアルバムやらをカセットテープで買い始めました。
私が最初に買ってもらったのは、多分「ゴーストバスターズ」のサントラだったと思います。初めて映画館に観に行った洋画がゴーストバスターズで、映画をだいぶ気に入って、その流れで音楽のカセットも買ったように思います。
「ロッキー4」のサントラも、私と兄のどちらが買った(買ってもらった)のか覚えていませんが、私はかなり好んで聴いていました。
クワガタ1975
76 プロレスと洋楽①(全2回)
音楽関連の話としては、ピアノを習ったことがある(が下手な)話や、沢田研二が好きだった話を書きましたが、今回は本格的に音楽を聴き始める頃の話になります。
そんな趣味回なので、興味の無い方は適当にスルーしていただければと思います😅
◆洋楽を聴くきっかけはプロレスラーの入場曲
3歳歳上の兄が中学生の頃から洋楽を聴き始め、その頃はまだ小学生だった私も、そのまんま影響されています。
話を少し遡ると、兄は元々プロレスファンで、プロレスラーの入場曲集のカセットを買い始めたのが、兄が(と同時に私も)積極的に音楽を聴き始めた最初です。これが後の私の洋楽好きに繋がって行くこととなります。
◆ロックな入場曲
私は中学校以降はロックばかり聴いていましたが、いくつかのロックの名曲との出会いは、プロレスラーのテーマ曲として出会ったのが先だったりします。例えば
・レッド・ツェッペリンの「移民の歌」
→ブルーザー・ブロディーの入場曲
・ピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」
→タイガー・ジェット・シンやブッチャーの入場曲
・ブラック・サバスの「アイアン・マン」
→ロード・ウォリアーズの入場曲
…と、それぞれの入場曲として、私はその曲たちと出会っています。
◆多彩な入場曲
とはいえ、当時のプロレスラーの入場曲は、ロックが多かったわけではなく、当時のインストの流行を反映してか、フュージョンっぽい曲なんかも多かったです。
長州力のパワー・ホールなんかはテクノですね。
今私が比較的詳しいのは古めのロックで、これは会った友達や偶然の影響しています。
ですが、小学生の頃はジャンル等気にせず、プロレスラーの入場曲ならどの曲も楽しんで聴いていました。
POWER HALL(長州力) ORIGINAL COVER
クワガタ1975
83 カセットテープ①(全3回)
趣味投稿なので全体公開で
私が小学校高学年の頃、プロレスのテーマ曲がきっかけで兄が洋楽を聞き始め、それがきっかけで私も洋楽を聴き始めたことは以前に書きました。その頃のリスニング環境の回想です。
自分語りシリーズではありますが、思い出より、カセットってこうだったよな、というシステムの話が長いです💦
⚠gravity老人会推奨ネタが多いです。若い方は昭和の日本人の暮らしぶりを学習していただければと思います。
◆ステレオコンポ
父は良くも悪くもかなりケチで、あまり趣味にお金をかける感じはないのですが、家にはちゃんとした(ミニコンポではない)ステレオコンポがありました。
もはや今の若い人にステレオやコンポという言葉が普通に通じるのかどうか定かではありませんが、それはさておき。
当時世の中には娯楽の種類が少なく、その数少ない娯楽の1つとしてオーディオブームみたいなものがあったようです。父も同僚や友達に釣られて買ったのかなと思います。
思い出補正が入っているかもですが、2本あったスピーカーはかなり大きくて、高さは70cmくらい、幅も30cmくらいあったように記憶しています。ダイヤトーンという三菱電機のブランドでした。
◆すぐ使わなくなった父
幼少の頃は、父がステレオで音楽を聴きながら、会社から持ち帰った仕事をする様もしばしば見られましたが、おそらく元々そこまで音楽が趣味では無く、飽きたのでしょうか、だんだんその頻度は減っていきました。
ちなみに父はラジオから録ったリチャード・クレーダーマンや、よく分らないイージーリスニングっぽいものを聴いていました。
もっと無駄情報を思い出したのですが、父は歌はそんなに上手くなく、十八番は多分千昌夫の北国の春でした。
クワガタ1975
77 プロレスと洋楽②(全2回)
◆AWA王者入場曲からフットルース
さて、当時のアメリカの三大プロレス団体の1つであるAWAという団体の王者だったリック・マーテルという選手の入場曲「Let's Hear It For The Boys」の原曲は、フットルースという映画のサウンドトラックに収録されていました。
兄がこのサウンドトラックのカセットテープを買ったのが、クワガタ兄弟が本格的に洋楽を聴き始めるきっかけでした。
このフットルースのサントラは全9曲のうち8曲が全米top40にランクインするメガヒットアルバムでした。
ちなみに私より少し上の世代なら記憶があるかもしれない「スクール☆ウォーズ」のテーマ曲「ヒーロー」の原曲もフットルースに収録されています。
◆フットルースからケニー・ロギンス
このフットルースのテーマ曲を歌っているのが、ケニー・ロギンスという歌手で、兄がこのケニー・ロギンスを気に入ったので、この後しばらくお気に入りのアーティストとなり、私も例によって影響を受けることとなります。
トップ・ガンのテーマ曲「デンジャー・ゾーン」を歌っている歌手と言えば、ピンとくる方も多いかもしれません。
ケニー・ロギンスについてはそれなりに思い入れがあり、数ヶ月前、トップ・ガンをテレビで放送したときにライブを観た思い出などを投稿しております😌
クワガタ1975
36 ウルトラマン
久々の自分語り投稿ですが、趣味の話なので全体公開にします。
幼少の頃、家にウルトラマンの本が2冊あり、飽きずに何度も何度も見返していました。ウルトラマンに出てくる怪獣の造形が大好きで、当時は結構名前も覚えていました。今でもある程度分かります[穏やか]
ウルトラマンレオまでの怪獣の写真が全部載っていて、各話のあらすじや決め技なども書いてありました。
想いは募るばかり??でしたが、5歳の頃やっていたはずのウルトラマン80は、何故かあまり強い印象がありません。
子供過ぎて物語にはあまり感情移入出来なかったのか、チャンネル権の弱さであまり観られなかったのか、他の理由があったのか、今でははっきり覚えていません。
その後セブン、新マン、Aの再放送はいくつか観た覚えがあり、これらは面白かったです。ただ、時間が悪かったり、忙しかったりで多くは観られなかったと思います。
小学生時代、ウルトラマンは冬の時代で、周りでもそれほどウルトラマン熱は無く、あまり話題になりませんでした。
家であまり好きなor流行りのテレビや漫画が見られず、自分の詳しいものと、学校で流行るものが違うことが多かった恨みは以前に投稿したとおりです🙄
さて、時は変わりますが、私は大学生時代は文学部心理学科にいたのですが、ゼミの実習で、ロールシャッハテストという、インクのシミを見て何に見えるかを答える心理検査の実習がありました。
余談ですが、ロールシャッハテストは一般的なネットで出回る「この絵が○○に見えた人はこういう性格」、みたいな適当??なものとは結構着眼点が違います。
反応速度、色に反応するかどうか、ほとんどの人がする反応をするどうか、などを見ていて、なかなか興味深いものでした。
さて、私の場合、とにかくインクのシミはインクのシミにしか見えなくて困ったのですが、それでも強いて何かに見えるか言うとすれば、ほとんど全て怪獣っぽく見えました。
こんなところで昔のウルトラマン好きが影響してしまったのかもしれません💦
あまりに怪獣という答えばかりを言ったので、実習の相手はどう解釈したのか気になるところです😅









クワガタ1975
73 小学4年生のときの担任の先生②
◆余談
個別のエピソードをほぼ思いつかない中で、なぜか覚えている小ネタがひとつありました。
夏休みに実家の宮古島に帰った先生が、休み明けにお土産を買ってきてくれました。
そのお土産が、そこいらのスーパーでも売っている「ボンタンアメ」だったので、生徒一同で「こっちでも買えるじゃん」とツッコんでいました[ほっとする]
なんで1年間でここだけ覚えていたのか謎です[冷や汗]
◆さらに余談
去年の12月に、3年生のときの先生の話を投稿しました。忘れ物をしたときにその先生に頭をはたかれ、強めに叱責された話です。
私としては、他にも忘れた生徒がいたのに、それは言えず、私だけ黙って怒られた部分が話のキモだと思って投稿していました。
ですが、いただいたコメントでは、シンプルに暴力(頭をはたかれた)や、強い叱責のところに反応したコメントが多かったのが印象に残りました。
今では昔の、懐かしいですが今では考えにくい日常に、皆様思うところがあったのかなと思いました。
クワガタ1975
70 プロレス②(全2回)
◆私が馴染んでいた時期
新日本プロレスで言えば、正規軍vs維新軍の抗争あたりから、nwoが流行ったあたりまではだいぶ観ていました。
少し知らない方に説明しますと、正規軍はアントニオ猪木とか坂口征二(坂口憲二のお父さん、身体が大きくてヤ○ザから人気があったとか無かったとか)とかそんな人達でした。
維新軍は長州力とかアニマル浜口とか、今聞くと何だかバラエティー班みたいですが、そんな人達でした。
nwoは、よく笑ってはいけないシリーズで月亭(山崎)方正をビンタしていたのが有名な蝶野正洋なんかが中心となって、アメリカのプロレスのムーブメントと連動して、ファッションやロゴも統一したりしていたグループで、なかなか格好良かったです。
◆リアルでも観戦しています
リアルの観戦は3回で、最初は新日本プロレスで、会場はよみうりランドの特設ステージみたいなところでした。待っている間に藤波辰爾が車で助手席にお嬢さんを乗せて会場入りするのを見かけたり、今は亡き橋本真也がジェットコースターか何かに並んでいる姿を見たことを覚えています。
新日本プロレスはもう1回観ていて、両国国技館でG1クライマックス(という大会)を観ています。多分まだ総合格闘技の波に襲われる少し前で、ある意味平和な時代でした。私が一番好きだった武藤敬司は蝶野正洋とメインイベントで戦っていた気がします。
あとの一回は母の実家の高崎で観たFMWで、あまりよく覚えていませんが、大仁田厚が血を流していたと思います。
◆その後の兄と私とプロレス
兄は大学で学生プロレスをやったり、その後もきっとプロレスファンでいるのかなと思います。
私の方は他に優先する趣味があったり、その後周りにプロレス好きな友達が周りに全くいなかったり(現在の妻はもちろん興味ナシ)、もしかすると兄への多少の反発もあったりで、その後はプロレスや格闘技のニュースを追うのをやめてしまいました。グレイシー柔術が出てきたあたりまでかろうじて分かりますが。
プロレスは連続ドラマみたいなところがあるので、1度ストーリーを追うのを止めてしまうと、なかなか興味が戻りにくいです。
ただ、当時はそれなりに楽しんでいましたし、今でもエンターテイメントとしてそれなりに面白いものであろうとは思っています。
#プロレス
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69 プロレス①(全2回)
趣味投稿なので全体公開にします
◆兄によく投げられたプロレスごっこ
実家では2人兄弟で、私より3歳上の兄はプロレスが好きでした。
私はよく布団の上でいろんな技をかけられていました。いえ、かけあってはいたのですが、私には兄が重くて、特に投げ技はトライしてもなかなか投げられませんでした。
私がかけられる技の方は投げ技も含めたフルコースでした。ボディスラムやバックドロップは当たり前で、ブレーンバスター、ジャーマン・スープレックス、ドラゴン・スープレックス、等々あらゆる投げ技を喰らっていました。
私の頭の回転がいまいち鈍いのはこのためかもしれません。
◆私も技はかけていました
これはいじめ要素ゼロだったかどうかは分かりませんが、まあやむを得ない不平等であり、そこまで嫌な思い出ではありません。
私の方は少し大きくなってきて、どうにかバックドロップをかけるくらいが関の山だったと思います。
私も固め技は兄にかけさせてもらったりもしており、学校で友達に固め技をかけたりもしていました。
脇固めやアキレス腱固めのようなシュート風味の技から、四の字固め、卍固め、コブラツイスト、サソリ固め、STFなどのエンタメ性強めの技まで、多分今でも一通り出来ます。
※大人しい相手にかけるのはめちゃくちゃ簡単です😅
◆週間プロレス
兄は小学生の頃から週刊プロレスという雑誌を買い続けていました。
少なくとも私や兄が結婚して世帯を分けるまでは買い続けていましたが、その後買い続けたのかはよく知りません。
昔からこのシリーズを読んでいる方(誰??)はご承知のとおり??兄だけお小遣いをもらっていました。私だったら多分週刊プロレスは買わず、漫画か少し貯めてファミコンのソフトでも買っていたと思います。
当時ファミコンのソフトは2本しか買ってもらえず、あとは音楽くらいしか趣味がなく、娯楽に飢えており、この週刊プロレスは多分10年くらい、必然的に私も隅から隅まで読んでいました。
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