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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-8>
私はSFが好きなので、今回るぴなすで空想読書感想会の企画が立ち上がったとき
なにかしらバックストーリーを作ろうということになって、まっさきにSF的ストーリーが思い浮かびました
もしよろしければコメント欄に、企画用のアカウントがいますので、フォロワー限定公開のショートストーリーを楽しんでいただけたら嬉しいです

私もまたAIを利用し、それを楽しみながらコンテンツを作る一利用者ですが、少なくともちょっと触ってみて、いまとんでもないことが起きているということがよくわかります。それが先のChapterのようなことになるのか、それは実際のところ訪れてみないとわからないというのが正直なところです

しかしあえて言うならば、私の答えはYESです。ことばは人を飛び越えて独自の生命を持つに至るでしょう。今でさえ、流言飛語という言葉があるくらいなのです。もともとそれくらい独立してあちこち飛んでいくのがことばの本質です。だから、AIがあろうとあるまいと、ことばはやや人間にとって異なる次元の存在。AI技術の到来はよりそこに力を与えて拍車をかける方向に働くというのが私の予想です

物語や文学が力を失い、活字というメディアが映像やゲーム、配信のような双方向性のあるコンテンツに座を明け渡してずいぶんと時間が経ちましたが、それでもまだことばにできることがあるというのは素晴らしいことです

最近はじめた短歌ですが
前にも書いたとおり、古来より人々は絵が描けなかったので、絵を描く代わりに詩を読むことで
感動した風景のみならず、その情景や心理を遺そうとしたのだとか

私も絵が描けない人間の一人なのですが、今やテクノロジーによって、詠んだ短歌をAIが絵にしてくれます
いい時代になったものです

たいしたコンテンツクリエーションをしていない私ですが、いま界隈で起こっている事柄を通して
自分の創作やあるいは友人たちの創作がより興味深いものになっていくことを、わくわくしながら見ています

(終)

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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-7>
私はSFが好きなので、今回るぴなすで空想読書感想会の企画が立ち上がったとき
なにかしらバックストーリーを作ろうということになって、まっさきにSF的ストーリーが思い浮かびました
もしよろしければコメント欄に、企画用のアカウントがいますので、フォロワー限定公開のショートストーリーを楽しんでいただけたら嬉しいです

私もまたAIを利用し、それを楽しみながらコンテンツを作る一利用者ですが
少なくともちょっと触ってみて、いまとんでもないことが起きているということがよくわかります
それが先のChapterのようなことになるのか、それは実際のところ訪れてみないとわからないというのが正直なところです


しかしあえて言うならば、私の答えはYESです
ことばは人を飛び越えて独自の生命を持つに至るでしょう
今でさえ、流言飛語という言葉があるくらいなのです。もともとそれくらい独立してあちこち飛んでいくのがことばの本質です
だから、AIがあろうとあるまいと、ことばはやや人間にとって異なる次元の存在
AI技術の到来はよりそこに力を与えて拍車をかける方向に働くというのが私の予想です

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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-6>
もしデジタルヒューマンが人のアイデンティティに占める重要なアバターになるとすると、現実世界の活動はいかにして自分のアバターであるデジタルヒューマンに対し何らかの電子資産を遺せるかという一点に集約されることが予想できます。それは友人とのふれあいでもいい、好みの写真でもいい。わかりやすいのは文章やコミュニケーションのやりとりでしょう。AI生成のプロンプトは自然言語処理されていますから、言葉を用いたアーカイブは親和性が高いと言えます。日々の日記、雑記、あるいは詩といったものがその人のデジタルヒューマンとしての人格を決定づける重要な要素となるわけです

ここらへんで、ようやくそろそろタイトルが回収できるのではないでしょうか笑

SNSを通じて外に対して見せる人格が事実なのか虚構なのか。この境目は近年薄れつつあります。現時点で「どちらも真実」というのが一定の理解を得られる模範解答であるように思います。実際その通りなのでしょう。人間は多面性を持っているので、ひとつのメディアに見えるものですべてを表現はできない。重要なのは、すべてを網羅しているかどうかではなく、おおむね人と人とのコミュニケーションはそういった多面的な人格の中の一面同士の接触にしか過ぎないもので成立しているということです

だからこそ、AIで再現してしまうことも可能というわけです

「言葉が人を超えて独自の生命を持つ」。これは最近、短歌界隈に交わるようになってお勧めいただいた、とある詩集のあとがきにて著者がことばに対して自分が持つ理想と矜持を書き連ねたものです。人は言葉の臣下であり、ことばに仕える存在であると。現実はそうではないからこそ「言葉が人間という軛を取り去って高々と飛翔するのであればいいのに」

私はこれを見たとき、ぞっとしました
「言葉」を「AIプロンプト」と置き換えて読み直すことが可能だったからです
SNSが現実世界の名刺と同様の力を持つようになった現在、そしてデジタルネイチャーの到来する未来
ことばは軽々と実存する現実の個人を凌駕するでしょう

twitterの炎上にみられるように発した言葉は人を規定し、人を縛り付けます。簡単に抜け出すことはできません。人はことばを操る存在であり、同時にことばに規定されています

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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-5>
相手がAIなのか生身の人間なのか、デジタルヒューマンの台頭によってその境界はどんどん曖昧になっていくと思われますが、現時点でも既にその傾向は現れています。例えば、AI生成された絵、曲。これらは今後どんどん市場に進出してくるでしょう。低コストで、高クオリティなら使う理由がない。しかもロイヤリティフリー。最初は人間の創ったものにこだわる人々がいると思いますが、そのうち慣れていくでしょう。したがって「相手が人かAIかはどうでもいい、面白ければ」はコンテンツの段階で既に顕在化しています。現時点ではおそらく、AIが作ったものを人に受け入れやすくちょっとアレンジする、といったものが主流になるでしょう。ちょうど私が短歌を書き直したように

しかしそのさらに先があります
次のステージは「相手が人かAIかはどうでもいい、聞いてくれれば」の時代です
コンテンツを制作するスピードはAI利用の方が遥かに早い。人が数か月~半年以上かけて作るような曲を、わずか20秒足らずで作るのが作曲AIです。したがって、氾濫するコンテンツを今度は消費・評価する側にAIが回るのです

私も最初、この感覚はついていけないな、と感じていたのですが「そういうことか」と理解するきっかけになったひとつの実験をYoutubeで見つけました。それは対話型AIを使って、セルフカウンセリング・セルフセラピーを行い、アンガーマネジメントをするという動画です。そこではまるでお手本のように専門的で多角的な角度からアドバイスするChatGPTの姿がありました。しかもパーソナルデータと連携すれば最寄りの医療機関や行政リソースまで提示してくれるおまけつき。まさに「相手が人かAIかはどうでもいい、聞いてくれれば」。

こういう段階になってくると、現実世界よりも電子的アバター・デジタルヒューマンとしての自分の方がはるかに重要です
そこに再現される自分自身の方が、より現実世界の自分よりも自分に近いということになってくる
人の仕事もどんどん旧来のものはなくなっていくし、創造や芸術において人間ができる創作活動の基本スタンスは現実世界からアーカイブをたくさん見つけてきてAIに放り込んでみる事となりそうです

そんな時代は、面白い気もするし、怖い気もしてきます
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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-4>

画像生成AIもそうですが、おしなべてすべてのAIのプロンプトは文書によって形成されます
しかもそれが文脈を持つ程に長ければ長いほど良い

先日音声ルームでも披露したとおり、これまで自分が作ってきた40首以上の短歌をChatGPTに引き渡した上で作風をまねた短歌を作らせることができます。つまり今自然言語処理AIは人の性格や人格を言動の振る舞いで模すことに長けています。画像生成AIが特定の絵師の画風をコピーして同じ特徴を持った絵を生成するように、我々の言動や言葉も徐々にコピー可能になっているのです

これを踏まえた上で、デジタルヒューマンについて考えてみましょう
スターウォーズシリーズでデジタルヒューマンが使用されたことはご存知でしょうか。キャリー・フィッシャーが演じたレイア・オーガナです。『ローグ・ワン』では、キャリー・フィッシャーが若い時代のレイア・オーガナとして登場します。彼女のデジタルヒューマンは、過去の映像や写真を参考にしてCG技術で再現されました。つまり何らかの電子的資産があれば、もはや映画に登場する俳優や女優が何歳かはどうでもいいという時代に入りつつあるわけです。生身の人間を使うのはコストが安いからにすぎず、やろうと思えばフルCGで映像などいくらでも作れます。つまりアバターの問題は解決しているわけです。発話技術もかなり進歩しているので、声紋を模倣してアバターに自分の声を話させることも可能です。そしてどんな言葉を語らせるか、その文章台本すらAIによって自動生成できるようなっています

だとすれば、目の前で電子アバターを使って自分に話しかけているのが、本当に生身の人間なのか、それともAIによって再現された電子人格なのか。どうやって区別するのでしょうか。多分わからないと思います。流石にずっと接していたら気付くとは思いますが、初見で十数分話した程度では見破れません

シンギュラリティとデジタルネイチャーの到来の先に、デジタルヒューマンという概念が台頭してくるでしょう
一人に一つの電子的アバターがあることが当たり前となった世界。Gravityではアイコンひとつすらアイデンティティと感じる人がいるのですからアバターとしてのデジタルヒューマンが生身の人間に取って変わるわけです
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<「言葉は人を超えて独自の生命を持つのか」Chapter-3>
シンギュラリティを最初に唱えたのは、数学者のジョン・フォン・ノイマンとされます。彼は1958年に自己増殖的な機械や人工知能の進化により人間の知性を超える時代が訪れるという説を唱えたそうですが、ダートマス会議が1956年ですから多くの専門家も同意見だったでしょう。またシンギュラリティの到来予測については、レイ・カーツワイルが有名です。彼は著書『シンギュラリティは近い』において、人工知能の進化や技術の加速度的な発展に基づき、シンギュラリティが2045年ごろに到来すると予測しました。ほかにもムーアの法則が有名じゃないでしょうか?計算機リソースの拡大は直線ではなく指数関数的に増えていく、というやつです

しかしシンギュラリティの到来予測についていえば、日本のデジタルネイチャー権威である落合教授の意見は違います。「早ければ2024年にも最初のシンギュラリティは来る」と述べています。あまり彼の名前を使っていると信者か何かのように誤解されてしまうので、ここから先は自分の言葉で説明しましょう 笑

シンギュラリティとデジタルネイチャーという二つの概念は不可分のものと私には思えます
これを説明するにあたって、やはりAIがどのようにして生まれてくるのかに立ち返らなければならないでしょう。Chapter-1でも述べた通り、AIの本質は情報工学上の計算現象を利用して生成するところにあります。つまり特定のプログラムコードが動く振る舞いを利用し、何か面白いものを作ってみる。これが本質です。たとえば桜のソメイヨシノは長い生物学研究の果てに品種改良を施され存在するようになった花の代表ですが、いまだ人は桜自体を創造できません。それに非常に似ていませんか
他の生物・自然現象と同じく現象を観測して理解し利用し、ある程度再現コントロールします。しかし、0から生み出す事は到底人間にはできません

これからはプログラムを書くのではなく、何らかのアーカイブをプログラムに放り込んでサービスを作ってもらう
そんな不思議ボックスみたいなサービスがたくさん出てくるでしょう
データは蓄積されればされるほどAIの進化を促しますからこの流れは加速します
まさにそれがシンギュラリティ
そこにデジタルネイチャーがあることは簡単に想像できます
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