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#朗読会るぴなす💠
相手がAIなのか生身の人間なのか、デジタルヒューマンの台頭によってその境界はどんどん曖昧になっていくと思われますが、現時点でも既にその傾向は現れています。例えば、AI生成された絵、曲。これらは今後どんどん市場に進出してくるでしょう。低コストで、高クオリティなら使う理由がない。しかもロイヤリティフリー。最初は人間の創ったものにこだわる人々がいると思いますが、そのうち慣れていくでしょう。したがって「相手が人かAIかはどうでもいい、面白ければ」はコンテンツの段階で既に顕在化しています。現時点ではおそらく、AIが作ったものを人に受け入れやすくちょっとアレンジする、といったものが主流になるでしょう。ちょうど私が短歌を書き直したように
しかしそのさらに先があります
次のステージは「相手が人かAIかはどうでもいい、聞いてくれれば」の時代です
コンテンツを制作するスピードはAI利用の方が遥かに早い。人が数か月~半年以上かけて作るような曲を、わずか20秒足らずで作るのが作曲AIです。したがって、氾濫するコンテンツを今度は消費・評価する側にAIが回るのです
私も最初、この感覚はついていけないな、と感じていたのですが「そういうことか」と理解するきっかけになったひとつの実験をYoutubeで見つけました。それは対話型AIを使って、セルフカウンセリング・セルフセラピーを行い、アンガーマネジメントをするという動画です。そこではまるでお手本のように専門的で多角的な角度からアドバイスするChatGPTの姿がありました。しかもパーソナルデータと連携すれば最寄りの医療機関や行政リソースまで提示してくれるおまけつき。まさに「相手が人かAIかはどうでもいい、聞いてくれれば」。
こういう段階になってくると、現実世界よりも電子的アバター・デジタルヒューマンとしての自分の方がはるかに重要です
そこに再現される自分自身の方が、より現実世界の自分よりも自分に近いということになってくる
人の仕事もどんどん旧来のものはなくなっていくし、創造や芸術において人間ができる創作活動の基本スタンスは現実世界からアーカイブをたくさん見つけてきてAIに放り込んでみる事となりそうです
そんな時代は、面白い気もするし、怖い気もしてきます
#空想読書感想会ss

Entropy
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ホォンゴォトォの意味は?
ホォンゴォトォは、特に中国の伝統的な文化や言語に関連する言葉で、具体的には「風水」や「陰陽」などの概念に結びついています。以下にその意味を詳しく説明します。
意味: ホォンゴォトォは、一般的に「風水」や「気」の流れを指す言葉として使われることが多いです。これは、環境や空間が人々の運命や健康に影響を与えるという考え方に基づいています。
文化的背景: 中国の伝統文化において、ホォンゴォトォは、家や土地の配置、家具の配置などが運気に影響を与えるとされ、良い気を呼び込むための方法として重視されています。
実践例: 例えば、家の中での家具の配置や、植物の置き方などがホォンゴォトォに基づいて行われることがあります。これにより、より良い運気を引き寄せることが期待されます。
このように、ホォンゴォトォは単なる言葉ではなく、深い文化的な意味合いを持つ概念です。興味があれば、さらに詳しい文献や資料を探してみると面白いかもしれません。

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kazu
微妙😅だね💦
フラッタ
小室哲哉が九十年代に似たようなこと言ってましたね。この本面白そう!