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老子の「日本語訳」に潜む謎!「声」を「聖」と読む異文化の壁

講談社学術文庫の『老子』を読み進める中で、私はある種の違和感と、素朴な疑問に直面しています。それは、原文、書き下し文、そして日本語訳を比較した時に現れる、現代中国語の感覚からすると非常に奇妙な言葉の対応です。

【読書の衝撃】老子の世界に「現代中国語」の感覚を持ち込むと…

私が手に取った『老子』の文庫版は、原文、書き下し文、日本語訳、そして丁寧な解説が揃っています。しかし、長年中国語を学んできた私にとって、この日本語訳に、いくつもの「?」が浮かび上がってきました。

古典を読む醍醐味であり、同時に難しさでもあるのですが、特に違和感を覚えた例を挙げてみましょう。

「胃(い)」を「謂(い)」と読む?異様な漢字の置き換え

まず驚いたのは、漢字の置き換えです。

「胃(い)」という字を、なぜか「謂(い)」と読み、さらに「言う」と訳している。

「始(し)」という字を、形が似ているからでしょうか、「似(じ)」と読む。

これは本当に当時の慣行なのか、それとも特殊な学説に基づいているのでしょうか?現代の中国語を学んだ者からすると、発音や意味の近似性だけでは説明しきれない、異様な置き換えに感じられます。

【極めつけ】「聲(こえ)」を「聖(せい)」と読む謎

そして極めつけは、この一例です。

「聲(せい/こえ)」という字を、「聖(せい)」と読む。

これは恐らく、当時の中国語の音(発音)が似ていたためだろうと推測されますが、現代中国語を勉強した感覚からすると、意味が全く異なる漢字を音だけで結びつけていることに、非常に強い違和感を覚えます。

これは慣行?それとも学説?日本語訳の深い闇

これらの漢字の読み替えや解釈は、一体どこから来ているのでしょうか?

当時の中国における特殊な音韻上の慣行?

特定の学派や学説に基づいた解釈?

古典を読み解く上で、日本語に持ち込む際の特有のルール?

現代中国語を学んだ私たちが『老子』の日本語訳を読むとき、この「違和感」は避けて通れません。古典の奥深さと、異文化・異時代の言葉を翻訳することの複雑さを、改めて痛感させられています。この謎を解き明かす旅は、まだ始まったばかりです。

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