投稿

Rics
無数に行動の選択肢があるし、しかも場合によっては0cmの世界にあるわけだから、意識して選択をしていかないと流されるだけ流されて振り返ってみれば「何も残っていない。」というような世界になっている。
無難な人生はつまらないけれども、そうじゃない人生は消費するだけの人生になる。
よく親の世代や祖父母の世代が「xxを買うのはココ」「xxを食べるならココ」というようなことを決めていた。(特に高齢の方はそうなりやすい?)
つまり選択することや試して見ることに時間をかけるより、自分自身の時間で何かをする方が価値があるということを考えていたのではなかろうか。と思った。
関連する投稿をみつける

龍仁

しお
回答数 45989>>


ミルク
彼氏とも付き合って9年目同棲5年目に突入
貯金があまりできず不安だらけだけど目標はB型からA型もしくは障害者雇用を目指していきたい
ここでダイエット綴ったり色々あったけど来年も頑張っていく。
お酒飲みながら寿司でも食べようかな?

雪
ティリル
回答数 12>>
あえて分けるとしたら「微視的」か「巨視的」か、ではないでしょうか。
局所的な見方だったり、短いスパンでのものの考え方がネガティブになったりします。
(好きな人に振られて人生終わりだ、みたいな)
一方で、大局的な見方や長いスパンでの考え方もネガティブになったりします。
(宇宙史に比べたら人類など無価値、みたいな)
そしてこれらは逆の見方もできる。
その意味でポジティブもネガティブも本質的には同じで、見方が違うだけだと感じます。
ここまで書いて気付いたのは「その人にとって楽な方を選ぶのかなー」ということ。
僕はポジティブな思考が楽なのでなんでもポジティブに考えがちだなと気付きました[笑う]
(振られても「新たな人生が始まった」と思うし人類史が一瞬でしかないとしてもその奇跡に打ち震えます)
もっとみる 
話題の投稿をみつける

ハグた

りにに

きゃね

雨瀬 蒼
ハイパーうざいけどwww
※ソールイーターのエクスカリバーの話

クノレ

熾翠

まどか

ぽぽ

フーさ

セイル
もっとみる 
関連検索ワード
