投稿

かずくん
回答数 30>>
方法序説には、そのように書かれています。
自我の証明としては、それで良いと思うんですが、生きていく時には使い勝手が悪い証明だと思うんです。これだと欲が発生しやすかったり、増上慢にやりやすかったりすると思うんです。
我の名称は有るが、実体がない。
自分という名称は有るが実体は無い。
の方が執着が無くなり、執着が無くなるから欲が無くなり、欲が無くなるから災いが起こりにくくなる。
車と言う名称があるが実体は無い。
約3万パーツの組み合わせで車はできてるけど、何をもって車と言えるのか?
ハンドルが車か?
タイヤが車か?
車軸が車か?
私達はなんとなく車と言うものをこんなものだと認識していますが、実体はありません。
エンジンが無い車体だけの物を車と定義しますか?
私達の身体は約40兆個の細胞でできています。
心臓だけがあなたですか?
眼球だけがあなたですか?
あなたという名称は有るが、実体は無い。
デカルトより釈迦が唱えたこちらの方が実生活で使えると思うんですが、如何でしょうか?
話題の投稿をみつける

矢納

テン

uber底辺

🪼うみ

片桐さ
#precure

かずま

すみれ

ちと🌱


きょー

夢ウサ
私の車に鳩にフンかけられる事が多くて(´;ω;`)
もっとみる 
関連検索ワード

