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象山ノート
ぶたれて、よろこぶ、
──壺の味が忘れられない─
私は、どうにも腑に落ちないのだ。
SNSを眺めていると、あちこちで目にする。
「消去法で自民党しかないよね」
まるで、仕方のない顔をして、ため息を吐きながら鞭を握っている。
いや、ちょっと待ってくれ。
あれだけ統一教会との癒着を叩き、壺だ、脱税だと怒り狂っていたのは、他でもないこの国の民だったのではなかったか?
その“壺”は、何か特別な味がするのだろうか。
快楽物質でも染みていたのか。叩かれ、縛られ、蝋燭を垂らされたあげくに――恍惚とした表情で「それでも自民党しかない」と呟く。
ああ、そうか。わかってきた。
これは政治ではなく、宗教だ。
いや、信仰でもない。これは嗜好だ。
消費税は痛い。
米も高い。
光熱費でヒーヒー言って、年金は削られて、海外へは兆単位の資金が垂れ流されてる。
インフラは崩れ、事故は続き、地方は消えていく。
だが、それでも「自民党しかない」と言う。
なぜか。
そう、彼らは壺が欲しいのだ。
正確に言えば、壺にたどり着くまでの「苦痛」が欲しいのだ。
叩かれて、絞られて、搾り取られて、その先に与えられる「壺」というご褒美――
ただし、その壺は我々には決して届かない。
それは選ばれし者、
つまり壺を売る側、
自民党の政治家たちの特権だからだ。
我々にはただ、叩かれる自由だけが与えられている。
選挙のたびに、自ら鞭を差し出し、首輪を差し出す。
それが「民主主義」なのか?
いや、これは「打たれて喜ぶ民主主義」だ。
主権者の皮を被った被虐趣味者たちの見世物小屋。
壺の味も知らぬくせに、壺の香りを空気から読み取り、またその空気に従う。
「みんな自民党って言ってるから、俺も」
そうやって空気を吸い、壺の幻影を嗅ぎながら、また一票を投じる。
だが、私は違う。
俺は、苦痛以外の選択をする民でいてやる。
誰が大衆なんかに染まるものか。
打たれて喜ぶ民主主義になんて、染まるものか。
絶対に。 #民主主義 #壺 #統一教会 #自民党 #インフラ
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