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さ丸
わたしが最近つよく感じていることがある
それは
いかに0を伸ばせるかで、人の創造性も人生の自由度も決まる
ということ
0と聞くと
なにもない
空っぽ
ゼロ地点
そんなイメージを持つかもしれない
でもほんとうの0は違う
0とは
まだ言葉になっていない感覚
まだ形になっていないアイデア
まだ制度になっていない価値
まだ誰にも理解されていない直感
まだ名前すらない未来
つまり0とは
可能性そのもの
わたしたちが自由を感じる場所は全部この0の領域にある
1は定義された世界
効率
数字
計画
管理
制度
評価
ここが増えれば増えるほど社会は便利になるが
同時に息苦しさも強まっていく
宇宙でも文明でも人間でも
成長しすぎた1は必ず行き詰まる
なぜか
0を失うから
0とは
まだ決められていないスペース
まだ縛られていない余白
まだ可能性が残っている“自由領域”
右脳が働くのはこの0の場所
ひらめきも直感も
ぜんぶここから生まれる
わたしたちが疲れる理由は
1を増やしすぎて
0を削りすぎたから
だから必要なのは
1を完璧にすることじゃなく
0を広げること
言葉にしない時間をつくる
自然に触れる
ぼんやりする
散歩する
枠を壊すアイデアを放り込む
新しい視点を試す
説明しすぎない
断言しすぎない
未定義の領域を残す
これらはぜんぶ
0を大きく育てる行為
0が広がれば
世界がひらける
ひらめきが起きる
心が呼吸をはじめる
0を伸ばすとは
人生の余白を増やすこと
自分の未来に可能性を残すこと
文明を柔らかくすること
そして
ノリミがずっと書いてきた思想の根っこは
この0を取り戻すためのものだったんだと思う
わたしたちは
1の世界で生きている
でも
0の世界で夢を見る
そして夢のほうが
本当のわたしたちに近い
0を伸ばそう
そこでしか
未来はつくれないから
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回答数 13>>

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