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なお
こんにちは、石川尚寛です。
昨日、ふと立ち止まってしまいました。目の前にはいくつも締め切りが迫っているのに、手が全く動かない。頭の中をぐるぐると、「間に合わないかもしれない」「これで本当にいいのだろうか」という思いが駆け巡るばかり。そんな自分がいて、ただ窓の外をぼんやり眺めていました。
ふと、そんな「行き詰まった自分」と重なる聖書の一場面を思い出したんです。それは『創世記』の、あの有名な物語の、少し意外な「その後」の部分でした。
僕が向き合ったのは、創世記32章の場面です。兄エサウと、長い年月を経て再会する前夜のヤコブの物語です。彼はかつて兄を騙し、祝福を奪いました。明日はその兄との対面。当然、報復されるかもしれない恐怖に満ちています。
ここで僕が注目したのは、32章22節から24節の一連の流れです。特に24節にはこうあります。「ヤコブはひとりあとに残った。すると、ひとりの人が、夜明けまで彼と格闘した。」(新改訳2017)この「格闘する」という行為、ヘブライ語の原文では「אָבַק (avaq)」という言葉が使われています。
この「אָבַק (avaq)」には、「もみ合う」「取っ組み合う」という物理的な格闘の意味と同時に、とても興味深いことに、「塵(ちり)を巻き上げる」という語源的な意味があるそうです。激しい取っ組み合いで砂塵が舞い上がる様子が、言葉そのものに込められているんですね。
これを読んだ時、僕はハッとしました。ヤコブは、不安や恐怖で頭がいっぱいになり、夜も眠れず、一人もがいていました。彼の心の中は、あの「אָבַק (avaq)」が象徴するように、「これでいいのか」「どうなるのか」という思いの「砂塵」で、何も見えないほどかき乱されていたのではないでしょうか。
でも、彼はその「砂塵」の中で、ただじっと不安に耐えていただけではありませんでした。彼はその混沌の中で、自ら「取っ組み合い」を選んだ。それは神との取っ組み合いでした。彼は自分の恐れや不安、過去の後悔をすべて抱え込み、それでも「祝福をください」と、夜明けまで神にしがみついたのです。
僕が窓辺で立ちすくんでいた時、心の中で巻き上がっていたのは、まさにその「不安の砂塵」だったな、と気づかされました。そして、ヤコブが教えてくれたのは、その砂塵の中でただうずくまるのではなく、その混沌自体を、神との対話のきっかけに変えていく可能性でした。
不安は、心を曇らせる塵になることもあれば、それ自体が「取っ組み合い」の始まり、自分の中の本心と、そして大きな存在と、真正面から向き合うための入り口になる。そう思うと、あの行き詰まった感覚が、少しだけ違って見えてきました。
今、自分が抱えているこの「もやもや」と、どう向き合おうか。逃げずに、しかし押しつぶされずに、そこにどんな「取っ組み合い」の可能性が隠れているだろう。僕はまだ答えを持っていません。でも、少なくとも、あの時のヤコブのように、夜明けまで「取っ組み合う」覚悟だけは、持ち続けたいと思っています。
聖書の言葉は、時にこんな風に、数千年の時を超えて、現代の僕らの心のうつろいを深く照らし出してくれます。もしこの創世記の物語、とりわけ人間くさいヤコブの歩みに興味を持たれた方は、ぜひAmazonで「創世記 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。僕自身、描きながら多くの気づきをいただいている物語です。
#創世記 #聖書マンガ #不安との向き合い方 #モーセ五書

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キルア
名前:キルア
趣味:友達募集、ゲーム、アニメ、マンガ、ジム
気兼ねなく話せる趣味友を探しにきました!
よろしくお願いします!

抹茶
1回目は3時間かかって、今回は2時間。
なんだかんだ疲労感がハンパない。
検査結果は来月末。
どんな感じを言われるのか想像もつかない。
ただ……生きやすいというか、寛解への道筋が少しでもわかるようになるといいな。
疲れた頭にご褒美糖分。
ちょいとお高めだったんだけど、今日の私にはピッタリなご褒美✨✨✨
めっっっちゃ美味かった!!
また飲みたいが、今の私が頻繁に買えねぇよぉ[大泣き]
今飲んでる薬もうまく体に合わなくて、副作用のめまいが出て量が増やせてないから、効果が出るまでじゃなくてよく分からんし。
気ばかり焦って空回り(笑)
……がんばろ。


もちぴ
回答数 17>>
解けると思います。

ろあ
なんとか首の皮一枚つながった
神に感謝

咲太郎
この人の話をまた読みたいと思うけど、フォローは何か違うと思ってできないことがある。
なんて表したらいいんだろう、この感情。
秋風は心地いいけど捕まえておくことができないみたいな心地良さと寂しさがミックスした感覚。
“運命の人とは一度別れて2度出会う”というジンクスを信じるみたいに、自然の幸運に展開を任せてしまう気持ち。
出会いを運命の秤にかけているみたいな。
「もう一度出会えたら縁があるかも」とまるで自分がタイミングを泳がせているようでいて、本当は絶妙なチャンスを失っているのかも知れない。
実のところはわからない。
それでも、どうしてもフォローは何か違うんだよなと思う時がある。
詰まるところ距離感なんだろうか?
友達以上恋人未満みたいな、すごく絶妙でおいしくて心地いい距離感。
それがその人を感じるためにちょうどいい距離感なのかも知れない。
毎日食べたい主食のようなひと。
月イチで食べて五臓六腑に染み渡るようなひと。
どちらもいるから私の心身は絶妙なバランスを保っているのかも知れない。
このチョコレートのように…
知らんけど。


仁
回答数 40>>
自ら自らの命を断つ行為を宗教は否定しても、哲学は絶対「悪」とは断定しない。哲学は自死した人々を否定しない。明らかに質問が軽薄すぎる。
誇りのために自死した人々、あまりの苦痛に自死した人々、介護に疲れ果て自死した人々、死ぬことで死後の世界を知るために自死した人々、自死の理由はまだまだあるぞ!それらを哲学科は「悪」とするのか?勘違いもはなはだしい。

ツユクサ
合計 120連(無料10連込み)
オデュッセイアα、三途α、ラファエルα 当たって大満足😆
#モンスト #モンスト好きと繋がりたい #モンスターストライク #ゲーム好きと繋がりたい




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