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保坂和志
『あさつゆ通信』
毎日、というのはもう毎週とか毎月のような「そのたびにごとに」という意味を越えていて、一日という区切りが24時間ごとにあることの意味ではなくなっている。
新聞小説を毎日読むとか、毎日その日考えたことを日記に書くとかいうのは、分けられたように読んで書いていることではない。読むことや書くことが一日を越える、一日を一日でなくする、繋ぎ目をつくっていくことなんだろう。
記憶に繋ぎ目はないから、人は思い出や経験に一貫性なんてないのは当たり前だけど、記憶と記憶を編むように考えることが、読み書きでつくられていて、それは思い出や経験が新しく紡ぎ出されることだ。
フィクションであるとかないとかはまったく関係ないのだが、小説を読みながらというか、考えながら何か文章を読み書きしている時、記憶が日々の事実を越えて「毎日」という時間を溢れてその思い出や経験を豊かにすることもある。
時間が解決してくれるというのは、経過の中に変化があったからとかではなくて、記憶の中の時間が現在の時間を溢れてその人の外で日々を生きることになるからではないか。
毎日、生きているということは、自分の中から新しく時間を溢れさせて、昨日と今日の境に居ながら今日と明日の境に記憶を繋いでいくことではないか。
Time
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