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あお🫧
「感情や衝動に流されず、物事を筋道立てて考える能力。善悪や是非を判断する力。」とある。
今、私が向き合っている「理性」は、内面のバランス感覚に近いのかな。心の中の“重さ”を見極め、正しく秤にかける能力‥。
他人の評価や一時の感情に振り回されず、
自分の「できること」と「存在の意味」をつなぐこと。
理性は「頭でわかること」。
でも今の私は、その“わかる”が心に届いてない。心がそれを“納得”していない。
理性を光と言い換えるなら、
「理性の修復」とは、光の強さを変えることではなく、心に届く“温度”や“角度”を探す作業なのかも。
それ(心に届くこと)を、他者(ここ)にも求めた。
寄り添いではなく、自分一人ではたどり着けない“気づき”を。
“共感”ではなく、“観点”。
あぁ、戻った。堂々巡り(笑)
人に期待してないけ(冷静)ど、
非情に接することはできない(情熱)。
冷静と情熱のあいだな自分。
理性の探求からの副産物でた♪
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木金
これまでの感情と思考と思いと行動と経験と関係と記憶となどなど、心のなかに複雑に結びつきながらたくわえられていると思うんだけど、それらをみつめる、はかる、そのために角度や温度や色や強さの違う様々な光をあてる、という感じ? たしかに一般的な理性の定義では、そういったものはわきに置いておいて、左右されずに考えましょうということになるんだろうね。だから頭と心が別になると。 理性の考えたことを心に聞かせるのと、理性に心を理解させるのという2つの方向に加えて、その様子などをただただ観察するという第三の働き的なものもあるぞよ。
Shu
思考工程の見える化ありがとう(さっきの自分の投稿は野暮でした😞💦)そのままの自分を直感的に受け入れるのは難しいことだね…。