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🍵粗茶な抹茶🍵

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「自分がしたことの報いを受ける」とは、なんなのか。
自身から飛び出た言葉、自身が周りに提示した態度、自身が起こした行動、その他、自分が周りの環境や人に与えた影響のすべてを包括した状態。

類似のことわざでは、「自分の蒔いた種を刈り取る」などがそれに近しい概念であると思う。
自分が溜めてきたツケを払うモノだろう。

要はその責任を負うべきモノであり、罪を犯した際のそれ相応の罰を受けるというモノであると思う。
人の考えは幾万とあり、人の考えは幾多にも変化する。時代、状況、環境によって、それは様々に。

しかし、どう足掻いても覆せないモノであったりするのが、自身が決断した答え、自身が取った行動であり、それらは決して拭い去れるモノではないと思う。

頭では忘れることはできようとも、体と心はその当時、自身が行ったその時の出来事をしっかりと憶えている。
逃れることはできはしない。

時効というモノもない。
誰かが赦してくれるモノでもない。
何年、何十年、何百年、死した後も贖い続けていくということだ。

「自らに科すもの」でもなく、これは与えられた目に見えない自信に対する試練。
決して報われることのない、永続的に背負うべき報い。

辛かろうが、苦しかろうが、弱音を吐いてもいけないし、その態度を見せてもいけない。
誰かに裁かれなくても、いつか自身で目を向けて受容れなければならない日が必ずやってくる。

それ故に「報われない報い」の内容如何によっては、今まで親しかった者が自分を見限って捨てようとも、文句を吐いてはならない。
それ相応のことをしたということを、ひたすら悔やみ、猛省し、改悛していく他ないのだ。

逃げていても、いずれその罰を受ける日はやってくる。
誰かが赦してくれるわけでもなく、裁いてくれるわけでもない、ただひたすらに虚無がまとわりついた娯楽なき世界だ。

何故そんな世界になったと嘆いても、それだけのことをした報いを受ける日が漸くと自分にやってきたのだと、思う他ないというモノだ。
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