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バニル
第二次世界大戦が勃発し、爆撃機の性能が上がって行く中、各国は爆撃機について行ける双発戦闘機を開発していました。
しかし、どれも上手く行かず、結局は夜間戦闘機に回されます。
双発戦闘機が上手く行かない理由も、当時の技術者には、分かっていました。
胴体部分の空気抵抗が大きいからです。
単発機なら、機首のプロペラが、胴体部分を包んでくれます。
しかし双発機の胴体は、ただの空気抵抗です。
ロッキード社の技師は、素晴らしいアイデアを思いつきました。
ならば、胴体を無くして仕舞えば良い。
無茶苦茶なアイデアでしたが、上手く行ってしまいました。
それこそ、ロッキードP-38ライトニングでした。
しかし、太平洋戦線におけるデビューは散々でした。
海兵隊のコルセアと編隊を組み、爆撃機の護衛。
突然、襲いかかって来るゼロ戦。
ライトニングもコルセアもボコボコでした。
海兵隊にとっては大事件でした。
最新鋭の最強戦闘機が、ゼロ戦にボコボコ。
陸軍には、まだ余裕がありました。
ライトニングは、アフリカでも、ヨーロッパでも、既に実績を上げていたからです。
直ぐに分析します。
アフリカやヨーロッパから、エースも呼びました。
敗北の実態は、直ぐに見えて来ました。
そもそもライトニングは、双発のクセに格闘戦が可能だったのです。
単発機は左旋回が得意です。
だから右旋回で勝負です。
右のエンジンを、アイドリングにしちゃうのです。
もう、クルックル周ります。
ロール率もとんでもない。
フォッケウルフよりライトニングの方がロール率が高い。
フォッケウルフ得意の、左旋回と見せかけて、右ロールでダイブも、ついて行けてしまうのです。
しかし、それでも、ゼロ戦相手に格闘戦は無謀。
エースのリチャード・ボングを中心に、ゼロ戦対策を。
リチャード・ボングは有名人です。愛機のノーズアートは、美しい恋人。
訓練生時代に、ゴールデンゲートブリッジの下を潜り抜けて、ゴールデンゲートブリッジの潜り抜けを、違法とする法律を作った男。
飛行技術は天才だったが、射撃はまあまあだった。
それが悔しくて、射撃でも陸軍1になった男。
太平洋戦線で初出撃のボング。
ゼロを相手に、格闘戦だけはするなと、隊長から釘を刺されています。
初めてゼロとの、編隊空中戦。
続く






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途中から???好きな人向け。でも、スゴいね。知識にはなった。法律作るとか。笑える🤣
バニル 投稿者
確かに強い。 しかし、勝てない相手でもない。 速度とチームプレーで、次々と撃墜し、あと1機。 無線で仲間を呼び取り囲む。 1機1機順番に、ダイブして銃撃。 後は時間の問題。 ところが落ちない。 ゼロも弾丸切れか、撃って来ない。 そして信じられない事に、ボングの部隊も、弾丸が無くなります。 引き返すしかありません。 日本機は、ドイツ戦闘機とは、根本的に違う。 そして、ゼロ戦対策が始まります。 分かって仕舞えば、簡単でした。 後ろから、太陽を背にゼロが。 緩いダイブを掛けながら、スロットルを開きます。 ゼロの機体強度は弱い。 時速600キロで空中分解します。 エンジン性能で振り切る。 続く