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シズ
回答数 38>>
とは
「希望の商品化」でしょうね。
実存哲学
偶然に人生を委ねる行為
宝くじは努力や能力ではなく、純粋な偶然に価値を置きます。
サルトルの言葉を借りるのなら
「人は自ら選択し、その結果に責任を持つ存在」
しかし宝くじは
自己決定を一時停止し
人生の転換を「運」に委ねるています。
これは自由からの小さな逃避であり、
同時に救済への希求でもあります。
ストア派
制御できないものへの執着
「自分で制御できるものと、できないものを区別せよ」
宝くじは完全に後者です。
それでも人は買う。
それは、理性より感情が勝つ、希望を持つこと自体に価値を感じる
宝くじは
理性が感情に負ける瞬間を、誰でも安全に体験できる儀式とも言えます。
功利主義から
非合理だが社会的には有用?
期待値はほぼ常にマイナス。
功利主義的には「損な選択」です。
それでも、夢を見る数週間の幸福、会話のネタ
公共事業への還元(建前)私の場合はこれ[泣き笑い]
を含めて計算すれば、小さな幸福を広く配る装置
とも解釈できます。
マルクス的視点
幻想の商品化
マルクス的には、宝くじは、労働では到達できない富、構造的不平等からの一発逆転
を疑似的に提供します。
現実の格差を変えないまま、
変わるかもしれないという幻想を売る仕組み。
ここでは
希望そのものが商品です。
現象学から
当たる「可能性」を買っている
フッサール的に見ると、
「人が買っているのは当選金そのものではない。」
「当たったらどうしよう」と想像する時間
未来が開かれているという感覚
宝くじは、未来の意識体験を先に消費する行為です。
ニーチェ的に言えば
もしですよ、ニーチェなら、こう言うかもしれません。
「宝くじを買う者は、運命を愛するのではなく、
運命に賭ける」
それは力への意志というより、現実への倦怠の表れ。
よって哲学的に買わない選択肢は個人的には
無いかと[冷や汗]
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𝙰𝚄𝚁𝙾𝚁𝙰🌙

紅緒べにを🦚
(仕事柄避けたかったというのもある)
と思いつつ、自分が学生の頃もSNSをがっつりやって、一つの大事な居場所になってたことも思い出した。
無邪気に社会人に囲まれるような趣味コミュニティに入っていったりもして、今思えば生意気なことも沢山言っていたのに、さも当たり前かのように「子ども」としての前に「人」として扱って貰えていたんだよなあ。
当時はそのありがたさに全く気が付いていなかったけど、相当恵まれた環境だった。
みんな当たり前に健全で、当たり前に公平な大人ばかりで、こちらが学生だと伝えると当たり前にかわいがってくれる人ばかりだった。
今の私の人格形成に相当関わっている人たちばかり。もう御縁は薄れてしまったけど、みんな元気にしてるかなあ。
今の私に彼らのような対応は出来る気がしないけども……😇

(16)

のぶ(ぴゅあ)
やばい普通に萎えてる
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ヲカス

まにま

とうれ

赤い電
悩み相談もしてるし名前もつけてて怖い

にゃち

ぅゅた

じょう

りずむ
平のことで、みなさん私のこと心配してくれてたんだよね…優しい職場なんだ〜プチ自慢☺️

てら

ぅゅた
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