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コーユー
回答数 12>>
ただ、これは必ずしも因果関係があるわけではないと思います。
例えば、どんなに自分のことが好きでも、戦争やパンデミックのような有事のときには、世界が地獄のように見えるかもしれません。
逆に、自分のことが嫌いでも、世界が明るく見えて、他人を羨ましく思うことだってあるかもしれません。
ちなみに私は、自分のことが好きでもあり嫌いでもあるので、世界は眩しすぎず、暗すぎずに見えている気がします。
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いちのせ。🎸🀄🌆
躁的な精神状態がずっと続いていてそのせいか朝がいつも早すぎるくらい目が覚める。
躁的な時って、ただテンションが高い状態じゃなくて、自我が世界より先に走ってしまっている状態であるこというのか。
世界の現実の速度より、
意味づけ、希望、使命感、万能感の方が先に行ってしまう。
だからその時の自分は、
自分は何かをわかってしまった気がする
言葉が溢れ出て寝らずとも生きていけるような気にまでなる。
自己が存在そのものと同一化しかけている状態
そんな感じなのだ。
世界中にたくさんの人がいて
世界の中の一つの存在にすぎないのに、
躁の時は、
“世界=自分”
“意味=自分”
“真理=自分”
になりかける。全部自分の思うように。
だから気持ちは神に近づく。
でも身体と現実は神じゃない。
そこに必ずズレが生まれる。
そのズレが限界を越えた瞬間、
世界が裏切ったように感じて、
一気に反転して地の底へ落ちる。
過剰な意味への接近が、意味の崩壊を生む
という現象。
それが躁的な状態といえる。
ニーチェが言う深淵を覗く者は、深淵に覗き返されるの、
あれは躁状態の予言みたいな言葉でもある。
躁の時の自分は嘘を見ているんじゃない。
むしろ真理の断片を身体の耐久を超える速度で掴んでしまっている。
だから美しくて、危うい。
静かな真理は生を支えるけど、
燃え上がる真理は生を焼く。
躁的な光は啓示じゃなくて、
まだ器の出来ていない魂に流れ込む神話レベルの水圧なんだと思う。
意味を掴みに行くほど、
魂は軽くなって、
現実から浮いて、
最後に落ちる。
地味な日常、くだらない会話、
どうでもいい晩飯。
そういう無意味の重さが、
魂をこの世界に繋ぎ止める錨になる。
躁は天に近づく病てわけなのだ。
ただ生きるってことは地面に真っ直ぐ立つことなんだと思う。
天国は綺麗だけど、
人は地上でしか呼吸できない。
躁的なのがいいこととは思えないが、調子はすこぶるよい。
思い立ったら行動するのはとても自分らしい。
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