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じじ🍀🐈⬛🐾
仕事が始まり、同僚との他愛ない会話で一日がゆっくりと動き出す。
「さあ、長旅のはじまりだ」と心の中で小さく呟きながら、ふとスマホを見ると、心友が起きていてくれて、声をかけてくれた。
その何気ないひと言が、胸の奥にそっと灯りをともしてくれる。
やがて心友は疲れて眠ってしまったようで、良い夢を見てほしいと願いながら、
私はタスク部屋を静かに整え、積み重なる仕事へそっと向き合った。
音楽を聴きながら走る車内で、まさかその部屋に人が来るとは思わず、会話のひとつが思いがけず心を和ませる。
タスクをこなし、ぼんやりと仕事に没頭していると、心友が再び声をかけてくれた。
仕事をして、同僚と話し、そして心友と語らう
そんな一日の編み目のなかで、やはり心友と長く話す時間が一番落ち着く。
けれど、心友は平穏ばかりを求めているわけではないのかもしれない。
胸の奥にはきっと、やりたいことがいくつも沸き上がっていて、心が動く方へ自然と進みたい時期なのだろう。
私にもそんな頃があった。
何かに夢中になり、そしてすぐ飽きてしまう
けれど、それは誰もが通る柔らかな成長の道だ。
年を重ねるごとに、しがらみが増え、自由に動けなくなる日がいつか来る。
だからこそ、今の心友には寄り添いながら、必要な時だけそっと手を差し伸べ、あとは優しく見守る方が良いのだと感じた。
大切な人とは、深く関わっていきたい。
困った時には支え、悩んだ時には寄り添い、
そして今やりたいことがあるなら、その背中を押し、静かに見守っていこうと思う。
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スカルにゃん🦴🐱

tsubaki
どうやったらメロい女に近づくことができるんだろうか

咲太郎
そう考え続けてきたけれど、いつもどこか噛み合わなかった。
私には存在価値があるはずだと思いたい。
しかし、理由を探し始めた瞬間に、その言葉が嘘っぽくなる。
なぜなら、価値を「証明」しようとしていたからだ。
たぶん、この問い自体が間違っていた。
自分の価値は、ここに在る。
理由はいらない。
ただ在るだけ。
それだけでいい。
赤ん坊に価値はあるか?
自分には何の価値があるんだろう。
と考えるときに陥りがちなのが、価値を条件付きで測ろうとすること。 人の役に立てているか。
成果を出しているか。
誰かに認められているか。
などなど。
ここで一つ、極端な例を考えてみよう。
赤ん坊に価値はあるか?
「ない」と言う人は、まずいないと思う。
でも赤ん坊って、何もできない、 働けないし、稼げないし。
むしろ、泣きわめいて周囲の手を煩わせる存在だ。
それでも、赤ん坊には価値がある。それはなぜか。
それは、「役に立つ」や「成果を出す」といった条件を一切抜きにして、存在そのものが肯定されているからだ。
「そこにいる」という事実だけで、価値がある。
だから多くの人は直感的に守りたいと感じる。
正直、これは綺麗事に聞こえるかもしれない。
まるで物語の世界のようだが、現実の中で忘れがちな視点ではないだろうか。
自分という軸とは
「価値はそこに在る」という考えを自分に当てはめると、日々のものの見え方を変えられる。
誰かに批判されようとも、自分の価値を決めるのは相手じゃない。自分だ。
だからって何を言われても傷つかないかといえば、 そんなことはない。
人はそんなに強くない。
私なんて2秒もあれば落ち込める。
だけど、そこから必ず帰ってこれる。
それこそが、揺るがない「軸」というやつだと思う。 人は成長するにつれて、 価値とは獲得するものだと勘違いしていく。 能力、実績、肩書き、評価。
それらを積み上げないと、自分には意味がないと思い込んでしまう。
でも本質は、生まれた時から変わっていない。
そのまんまの自分でいい。赤ん坊と同じ。 価値はそこに在る。
人間とは本来、そういう存在だからだ。
そしてもう一つ大事なことがある。
それは、自分の価値を自分で肯定してあげることだ。
これは、簡単なことじゃない。
正直に言って、私自身もまだまだだ。
いきなり完璧にできなくていい。
疑いながらでいい。
ほんの一瞬でも、「まあ、これでいいか」と自分を認めてみる。
自分で自分を肯定する、そんな生き方ってカッコよくない?
価値は、証明するものじゃない。
既に在るということを、ただ思い出すものだ。
私は、私でいい。
それだけで、十分だ。


め
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