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マサヤス 龍之介
#読書の星 #東京 #武蔵野 #日本文学
☆『武蔵野』 国木田独歩
最初は雑誌連載だったらしい。國民之友へ2回連載だった。明治31年1898年1月と2月号である。因みに最初のタイトルは『今の武蔵野』だった。
その後明治34年3月に初版発行された独歩の第一創作集『武蔵野』の巻頭を飾った。この第一創作集をそのまま文庫化したのが岩波文庫で第一刷が昭和14年1939年2月で、最初の連載から41年が経過していた。私は岩波文庫の昭和59年3月の第48刷を所持している。
これは優れた東京随筆であり、武蔵野の自然に身を委ねる独歩の多少ディフォルメも混ざりつつ然し、どの地方にもない自然と人工物の調和は唯一無二の風景を作り出すと、武蔵野の地を評する。今から127年前の独歩のそぞろ歩いた武蔵野の特徴は、実は今から40年以上前にが私が学生時代を過ごした埼玉中西部の武蔵野独特の特徴は、独歩が描いた風景と余り変わりがない。その云い方には齟齬があるが風景は無論変わっていただろうが、武蔵野という土地の特徴はさして変わりがない。それらは、独歩のテンポの良い文体によって活写される武蔵野の長閑さ、とか行き当たりばったりで細道を行くといきなり農家の庭先に出る、とかそうした道行のある種のスリル感は筆舌に尽くし難い小散歩の興趣を見い出せる。
この文章を書いた頃の独歩は旧渋谷公会堂とNHKに挟まれた坂を下る途中に住んでいて、そこからは渋谷の林や丘や水車が一目に眺められた。
その住居の隣は牛を飼っている牛乳屋であり、当時渋谷の搾乳場は61箇所に及んだという。茅屋に住んだ独歩は、その武蔵野の楢の類の落葉林の沈黙と凩の叫びの中に身を沈めて、恋人と別れた傷心に浸っていた。
この本の中で独歩は武蔵野の範疇を定義して、…東京の南北は…先ず雑司ヶ谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などという駅がどんなに趣味が多いか……。
正に私が6才から34才迄の大半を過ごした地域がスッポリ収まる寸法だ。私は所沢の北隣に位置する狭山という地域で幼少期から青年期に掛けて過ごしたが、雑木林が点在していたものだ。
つづく…。



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