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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-2

#読書の星 #音楽本


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
さて、サブタイトルにわざわざその名を出すくらいだから大滝詠一については相当数の紙数が費やされている。その取り上げ方がまた実にいい。
項目に"ヒットソングの条件"とある。
そのものズバリで、なるほど本書のタイトルにこれはかなり肉迫している。
大滝が初めて取り組んだCM音楽が♫サイダー であり、その仕事についても経緯が詳述されているのだが、牧村氏はこの仕事ではただの紹介者と自ら自嘲して言っているが、大滝をONアソシエイツというCM制作会社の大森昭男氏に紹介したのがこの牧村氏である。大森は後にサイダー'73 と呼ばれるこの作品を気に入り数々のCM音楽を大滝に持ち込む事になる人物である。この'73 の演奏者達も牧村氏は記憶(或いは記録か)していて、およそそれはキャラメルママからティン・パン・アレーへと連なるメンバーとは程遠い原田裕臣(ゆうじん)のdsにアランメリルのb.そしてKBには元スパイダースの大野克夫らが引き受けていた。彼らはアルファの村井邦彦とミッキーカーティスが主宰したマッシュルームレコードのスタジオミュージシャンであった。こうした他流試合に大滝は割とすんなり打ち解けていったのである。そして、ヒットソングの条件とは、大滝がこのCMソングの作詞家伊藤アキラに「あ行で始まる詞でお願いします」と注文したのである。あ行で始まる詞はインパクトがある、というのは既に業界の不文律として定着した法則だったのである。大滝がその事を知っていたのか否かは不明だが、この大正末期から脈々と受け継がれてきた作詞原則論を敢えて伊藤に意識させたところに大滝の並々ならぬ才能を牧村氏も強く感じ取ったようだ。才能というかそうしたことをしっかり勉強していた、というべきか。はっぴいえんどとしての最後のアルバムはロスアンゼルスで録音されたが、その時も大滝は現地のエンジニアに質問攻めをした、という話もこの本の中で紹介されている。それだけ音楽で身を立てることに一際熱心で、マニアック魂に火が点いたら止まらないのが大滝の人間性を物語っている。
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CIDER '73 '74 '75

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