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ライム
視力検査の時に勘でAを取ったせいで…
メガネなくて黒板の文字が全く見えない☆
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みそしる
塩分
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「国旗がその国の象徴であることは世界で共通の認識であり、紙に書いた文字とは違う」という主張は、一見もっともらしい。しかし、この主張は象徴であることと刑罰で特別に保護されるべきことを無自覚に同一視している点に問題がある。
確かに国旗が国家の象徴であること自体は国際的にも広く共有されている。しかし、象徴であることは直ちに「刑罰による保護」を意味しない。現に、多くの国では国旗を国家の象徴と認めつつも、表現の自由との関係から刑罰を科さない、あるいは限定的にしか処罰しない立場を取っている。象徴性の共有と処罰の正当化は別次元の問題である。
また、「紙に書いた文字とは違う」という対比も論点を単純化しすぎている。問題にされているのは物理的な素材の違いではなく、人がそこにどのような意味や尊厳を読み込むかである。「日本」と書かれた文字や日本列島の図像に対しても、侮辱として受け取られる現実がある以上、感情の発生メカニズムは国旗と連続している。
ここで重要なのは、国旗を象徴として特別視する感情を否定することではない。その感情を理由に、なぜ刑罰という最も強い国家権力の行使が正当化されるのかが説明できるかどうかだ。象徴だから、皆がそう思っているから、という理由だけでは、法の根拠としては弱い。
法が扱うべきなのは、「どれだけ象徴的か」ではなく、「どのような具体的害が生じ、それが他の手段では防げないか」である。象徴性を理由に例外を設けることは簡単だが、その例外は必ず次の例外を呼ぶ。
国旗が特別な象徴であることは否定できない。しかし、それを理由に刑罰で守ることが当然だとする発想こそ、冷静に検証されるべき対象なのである。

ぐら

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れいかちゃん
回答数 259>>
高校も割とすきでした
ゆりか
という思いを抱いて学校行ってきまーす
#おはよーせかい!

吉田賢太郎
「自分らしく生きる」ための、世界の読み解き方についてのメッセージです。
世界は「解釈」というレンズでできている
1. 三つの「メガネ」
私たちはみんな、三つのメガネをかけ替えながら世界を見ています。
自分メガネ(主観): 「私はこれが好き、これが痛い」という、自分だけの物語。
相手メガネ(客観): 「あの人からは、私はどう見えているかな?」という、鏡の視点。
世間メガネ(傍観): 「普通はこうだよね」という、どこかの誰かが決めたルール。
どのメガネが正しいわけではありません。でも、一つのメガネだけをずっとかけていると、世界はどんどん歪んでしまいます。
2. 「正論」は人の数だけ落ちている
「これが正しい!」という正論は、実はこの世に一つではありません。
人の数だけ、それぞれの「正しい」があります。
だから、自分の正論で相手をねじ伏せようとするのは(それは賢いフリであっても、弱さを武器にしても)、相手のメガネを無理やり奪うのと同じこと。
「あの人のメガネには、そう映っているんだな」と知ることが、本当の「頭の良さ」です。
3. 「洗脳」の正体は、心のコリ
「洗脳」と聞くと怖いイメージがあるけれど、実は身近なところにあります。
それは、「こうでなきゃいけない」というガチガチの固定観念のこと。
「男なら、女なら」
「成績が良くなければ」
「SNSではこう振る舞わなきゃ」
そうやって、昔からある「既成概念」という古いOSを使い続けている状態、それが「洗脳」です。
君へのメッセージ:解釈という名の自由
世界に「たった一つの正解」なんてありません。
すべては、君がどう「解釈」するか。
パンセクシャル(すべての性の人を愛する)という生き方も、
誰とも比べない自分だけのルールを守ることも、
古い洗脳から抜け出して、新しい解釈を選び取っている証拠です。
「事実は一つ。でも、物語は無限。」
誰かの言葉に縛られそうになったら、思い出してください。
そのメガネを選んでかけているのは、他の誰でもない、君自身だということを。

限界女子高生
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