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愛善院

愛善院

近代日本文学のほとんどが文学として成立していないという、文学論についてのあなたなりの考えを述べてください近代日本文学のほとんどが文学として成立していないという、文学論についてのあなたなりの考えを述べてください

回答数 4>>

「文芸」にはなり得たが「文学」足り得なかったという点は目立つ。広義の文学(第一義)には含まれようけれども。

このあいだエモーショナルとセンセーショナルを漠然と考えていた。

日本はいうなれば近代の時点で識字率が高すぎたし、話術話芸すらその時代に発展させてしまっていたため、進化樹形図は分岐し細るのみに至っている。現代にあればとてつもなく枝葉末節は広いが、幹に至る者は少ない。これは世界中の現象も遅れてやってきたと推定する。
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コメント

としゆき

としゆき

1 GRAVITY

では愛善院さんの考える文学とは何でしょうか。 先程私が愛善院さんのとよさんのコメント欄に回答した文学に関する考え、 すなわち、近代に至るまでの日本の文学と呼ばれている作品群にことごとく欠けているとされる作品の表現思想の欠落や、 近代に至るまでのほとんどの(今も含む)日本の作家たちの文学とは何かに対する理解と認識の不足と文学作品とそうでない作品の判断能力の欠落などといった、伝統文学と日本の文学シーンにおける文学との関係、それらから考察される愛善院さんの考える文学の定義です。 *自分がいつも返信が遅かったりする理由も含まれますが返信はいつでも大丈夫です。

返信
愛善院
愛善院
「翻訳できる思想が輪郭化されている表現物」を(欧米では)文学と呼ぶように思うのです。 日本の文学軸はふたつあって、そのうちの「思想」分野に特化できた作品作者は少なく(国際的には)文学と呼べるものが少ない、と言えます。 もうひとつのほう、思想は隠れ沈んでいる、または翻訳すると思想は見えなくなる、淡い「美意識」のほうに(広義の)日本文学の主眼があって、こちらが文学史系譜に入り込んでくる。 メディア史(および識字率)的に、より売れるように「地位や身分がない大衆」をもともとメインターゲットにしていたため、思想をひけらかして権威の批評を待つ手順が少なかった。思想小説よりも文芸に寄った、といえます
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