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愛善院
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一人称現在の知覚する私、のほかに、宇宙の果てから地球の隅々を観ようとしている私、草場の蔭にかくれていた過去の弱々しいアメーバ質の私や、今日の夜食はゆで卵にしようとする私など、いくつか抱えながら、他の歯(状況)にあわせるに最適な軸を直感的に選んでいる。
そこには「選択する主体」を認識することもできるが、認識しない無造作のまま、むしろ、「枠の歯がこのようであるから」とする構造からの逆算をして選択を「主体に任せず」に消去法的に行うことすらある。
こうした主体性をゆらがせるのに「思考」では足りない場面は多く、たとえば未曾有の大災害などの絶望感に苛まれているとき、いわゆる「いつもの自分ではない」行動力を発揮したり、完全に放心してしまったりもする。
ときとして「われ、感じる、それがゆえに我がある」を体感することもあり、いうなれば他者に「そんな声、でちゃうんだ?」と指摘される時に、主体性たるものは固着的にあるものではないと思われるのである。

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