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こうせい
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魚
2日治らないんだけど明日には治りますか?

ジョー


sun☀️
これまでと同じことをしていた。
こうやって頭で分析して
対策して実践する。
それはたくさんやってきた。
それでも頭打ちだったのは
根っこが変わらなかったからだ。
根っことはつまり
自分を信じているかどうか。
他者をおざなりにしたり、
先輩ならいけますよ!と
軽々口にすることが解決策なんじゃない。
自自身を心底信頼しているから、
他者にも結果的に、おまけ的に
そういう発言が自然と出てくるだけ。
きっと、そういうことなんだ。
なんなら信じる、という言葉が
出てくるうちはまだ信じていない。
“信じている“という「状態」を
当たり前にすること。
私は愛されて当然の存在。
私は応援されて当然の存在。
それを私は左利きだという認識と
同じレベルで腑に落とすこと。
つまりなにをするか、というDoではなく
どう在るか、というBeの話。
そういうことなんじゃないか。
せっかく螺旋階段を
登っているのだから、
例え見える景色はほぼ同じだろうと
一段違うテイストを入れたいのだ😏
とはいえ、じゃあ具体的には
どうすればいいのか。
私が好きな由佐美加子さんの
著書によると、
“「受け取る」は行為ではなくて
「受け取っている」状態“
なのだという。
我々は、
「内側は空っぽで、与えられるもの
なんてない」を前提にしがちだ。
でもそうなるとそもそも
取引ができないから、
人から受け取らなくなる。
(これはまさしく
先日の私と全く同じ思考回路だ!)
そして自分が空っぽだと思っている限りは、
それを埋めたい欲望に駆られる。
これは他者依存のパラダイムだ。
でもここで、
前提を変えてみるのだ。
つまり、我々は元より
とてつもなく豊かなものが、
すべて内側に循環しているのだと。
もちろん子どもの頃の私たちは
親から見放される=死を意味したから、
“取引“という形でしか生きてこられなかった。
でも、この取引は
気付いた者から辞めることができる。
なぜなら、本来の愛は
そもそも取引されるものではないから。
もう既に在るものを
感じることさえできれば、
これ以上愛される必要など
本当はもうないのだ。
世界中の全人間から
「お前は愛されていない」と
言われようとも、
「いや、悪いけど私は愛されてるから笑」
といえばおわり。
この人間の意志は、信念は、
実は思った以上に強いものなのだという。
人間には誰しもこの力があり、
誰がなんと言おうと、
絶対的な意志を持つことは本当に出来ると
由佐さんは力強く述べていた。
この意志力の強さは
何か記憶に新しい。。
そうか、、交渉が怖かったのは
私自身が空っぽだという認識を
していたからだったのか。
でも、感じさえすれば
私の内側は既に満ち満ちと満ちている。
そこに更に受け取ったものがあれば、
それはその豊かなジャングルに
“含んでいく“ような感覚になる。
そんなイメージで臨めばいいんだな。
そう考えると、
父1人に頼るかどうかを
実は私はまだ決めかねていた。
もちろん金額が上がるほど
交渉が決裂するリスクが上がる。
だからリスク分散として、
もう1人にも頼る前提でいなきゃ、、
そういう思考があったけど、
彼女の本を読んだら、
むしろ応援してもらいたい
あの人の力も借りたい。
そういう想いが込み上げてきた。
何か想いのこもったお金は、
目に見える金額としては
そっくりそのまま返すとしても、
私の「応援してくれてありがとう」という
“想い“をのせることが出来るから。
そういう意味では、
何人もの人に頼むのは怖い、
という想いがずっと拭えなかったけど、
もし仮に父にまるまる
お願い出来なかったとしても、
その分私を応援してくれる人を
増やせばいい。
そういう発想にすれば、
そんなに重く考えなくても
いいのかもしれない。
なんだかそんな気がしてきた。
もちろんこの“既に在る”という
感覚は、ちょっとやったくらいでは
身につかない。
私も現時点ではさっぱりだ←
でも、意識的に習慣づけて
いくことは出来る。
それは、毎晩寝る前に
「今日受け取ったことを書き出し、
感じる」という作業で。
もちろん雑念として
「ないない」啓蒙は飛び込んでくる。
でも、どちらもあるし、
あるがままでいい。
その上でどちらの言葉を
間に受けるかは自分で決める。
それが我々が持つ意志の力。
私の学びはまだまだ続く〜!🐎✨

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