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きゃろっと・らぺ
殷(商)代の食文化をたどると、酒池肉林のような大饗宴は単なる贅沢ではなく、季節と生産のリズムに深く結びついた行事であった可能性が見えてくる。
まずは主食である。
殷前期の主食は粟(あわ)中心であった。しかし殷末期になると、黍(きび)・大豆・小麦(地域によっては米)の比率が高まっていくことが、植物考古学の研究から知られている。これらの穀物は酒造りに適した作物であり、祭祀や王の饗宴に用いられる高級な穀物であったと考えられる。(庶民の日常食は、依然として粟が中心であったであろう。)
殷代の酒に含まれるアルコールの割合が徐々に上昇したことは、現在仮説として知られている。これは米から醸造された低アルコールの醴を使った儀礼や饗宴が廃れ、よりアルコール度数の高い酒が飲まれるようになったためと考えられている。
度数の高い酒は秋、穀物を収穫した後に仕込まれ、発酵と熟成を経て冬に飲み頃を迎える。冬は農閑期で人が集まりやすく、気温が低いため食材も傷みにくい。火を囲み、保存食で酒席を開くには、まさにうってつけの季節である。
次に、肉である。
古代農耕社会では秋の収穫期が終わると家畜を屠殺し、塩漬け・乾燥・燻製などの方法で加工し、保存食を大量に仕込むのが一般的であった。越冬の飼料に限りがある以上、秋は収穫と仕込みの季節である。
殷代の重要な調味・保存食品であった醢(ししびしお)は、仕込んでから食べ頃になるまで百日、すなわち三か月ほどを要する。秋に仕込めば、ちょうど冬の盛りに完成する計算だ。
そして、伝統である。
中国古代には、年末から冬至にかけて行われた「臘」「大蜡」といった歳終の大祭と饗宴の伝統があり、周代以降の礼制にもその名残が見られる。
こうした背景から私は、酒池肉林とは、一年の収穫と仕込みの成果がもっとも充実した「冬」に行われる「富と力を示す頂点の宴」であったのではないか、と考えている。
#古代中国
#酒池肉林が後代の創作だとは知ってるけど
#火のないところに煙はたたない
コメント
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はなはな
先日、娘にシフトの予定時間を聞いたところ
初めて「20代半ばで親に帰宅時間聞かれる人居ないよね(笑)」と言われました
(笑)がつく感じで言われたのですが
これって子どもからするとウザいですか?
娘にも話してますが、理由は単純に夕飯の準備と食材を買う都合です
毎日分買うと野菜が無駄になったり(冷凍苦手)
私も仕事をしているので娘がいないときは
手抜きにしたいとか、いる時は体調に合わせ
野菜たくさんとかメニューを考えています
もちろん出かける事に文句も行ったことは無いし、誰と?とかの干渉もしてません。
ただ夕飯食べるかどうかだけ知りたくて予定を聞いてしまいます
そんな考えちゃうなら作るの止めたら?
とかの意見がほしいのでなく
ただ、成人した実家住まいの子が親に予定を聞かれるのは過干渉と感じるのか知りたくて‥
娘本人にも軽く聞いたところ、人に気を使うタイプのため「そんなことないよ」と言われましたがたまたま親の過干渉がウザいと言う投稿をみて気になってしまって。
子どもの立場の方、親の立場の方
どう思いますか?

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きゃろっと・らぺ 投稿者
醴が儀式の主体の時は、醸造に時間がかからないから秋に収穫祭みたいにしてたんじゃないかなあ。 そして醸造技術の変化で度数の高い「酒」が主体になると、準備に数ヶ月かけた選りすぐりの酒と肉が、冬に圧倒的な物量で完成する。もちろん宴するよね。 それが後世に「酒池肉林」という伝説として語り継がれた…という妄想。
Kei🎾
すごい知識