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ひよこまめ
理解度MAX!
とはいえ本番解ける自身はないが笑
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ココ🥃
冬の東京のビル風の冷たさをカミソリとするなら、こちらの寒さはナタの切れ味... 有無を言わせずどーん!と言った感じで容赦がありません。
一面に降りた霜でそこら中キラキラしてるのは綺麗な光景ではありますが、夏場の2倍くらい肩こりがひどいのには閉口します。
もともとがラ族、身につけるものは少なければ少ないほどいいと考えているので鬱陶しいことこの上ありません。
まだまだ本番はこれから、早く春にならないかなぁとぼやいている場合ではありませんが、夏に較べると不機嫌率は格段に上昇している気がします。
ファンヒーターに灯油入れなきゃ...
やれやれ💦
#冬眠志願
#天は我々を見放した

「八甲田山」 八甲田山 メインテーマ
幸薄い

ジョイ
今まであったどんな先生より丁寧に教えてくれるし
何回質問してもウザがられないから
質問しやすい

けい🕊
娘「問題です!
きゅうひゃく、きゅうじゅうきゅーに、1を足すと、100になります」
私「なりません(*´꒳`*)」
娘「あれ? きゅうひゃくきゅうじゅうきゅーに、1を足すと……、100になりますっ」
「なりません(´・ω・`)」
「え?
きゅうひゃくきゅうじゅうきゅーに、1を足すと、100に」
「なりません(´・д・`)」
難しい問題だったぜ

なお
最近、僕はある一つの聖句にずっと引き込まれています。
申命記6章4節。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」
この言葉、ユダヤ教では「シェマ」と呼ばれ、最も大切な祈りの一つです。
「シェマ」とはヘブライ語で「聞け」という意味。
ただ音として耳に入れるのではなく、心を澄まして、全身で受け止めよ、という強くて深い呼びかけです。
「主は唯一」というヘブライ語は「アドナイ エハド」。
この「エハド」は、単なる数学的な「一」ではなく、調和した統一性を表す言葉だと言われています。
神はばらばらではなく、すべてを結び合わせ、関係性そのものであるような「一」。
この一節だけで、申命記、いや聖書全体の核心に触れる気がするのです。
僕がこの言葉に込められた重みを感じたのは、それが単なる教えではなく、約束の地を目前にしたモーセが、これから様々な誘惑や困難に直面する民に、何としても伝えたい「命綱」のようなものだったからです。
エジプトでの奇跡も、荒れ野での試練も、すべてはこの「聞く」姿勢と、唯一の神との関係性の中で意味を持つ。
申命記は、歴史の繰り返し叙述ではなく、その核心を「今、ここで」生きる民へと更新し、受け継ぐための書なのだと気付かされました。
だからこそ、申命記には「覚えていなさい」「忘れてはならない」という言葉が何度も繰り返されます。
それは過去に囚われろという意味ではなく、あなたがたの「今」は、この神との出会いと契約の延長線上にある、ということを刻み込むため。
祝福と呪いが語られるのも、それが遠い神の裁きではなく、私たちの選択が今ここに生きる関係性を形作っていく、という厳粛な現実だからです。
僕はまだ、この「聞く」という姿勢を、自分の生活の中でどう生きるか、模索しているところです。
スマホに流される情報をただ受け取るのではなく、心を澄まして、本当に聞くべきことは何か。
バラバラになりがちな日常の出来事を、どんな「一」へと結びつけていくのか。
申命記は、そんな根本的な問いを、僕の胸に静かに、しかし確かに置いてくれました。
このモーセの最後の説教に込められた切実さや、神と人との関係性の深さは、言葉で読むだけではなかなか伝わりづらいものもあります。
僕自身、石川尚寛さんの「モーセ五書マンガ」で、モーセの老年のまなざしや、民への思いがビジュアルで表現されているのを見て、ハッとさせられることがたくさんありました。
気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。
無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
#申命記
#シェマイスラエル
#モーセ五書マンガ


加遠留
日本語母語話者が英語を学習する上で大いに悩むものの1つであらう“鯨構文”。バラク・オバマの演説の中の一文が近年では有名かも知れない。某新聞が日本語訳を間違へたことでも。
For the American people can no more meet the demands of today’s world by acting alone than American soldiers could have met the forces of fascism or communism with muskets and militias.
Google翻訳:アメリカ兵がマスケット銃や民兵でファシズムや共産主義の勢力に対抗できなかったのと同じように、アメリカ国民も単独では今日の世界の要求に応えることはできない。
これを某新聞は
「かつての米兵は、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来た。だが、米国民はもはや単独に行動していては、今日の世界の要求に応えることは出来ない。」
と訳したらしい。than節の意味が反対だ。
☆
噂によるとドナルド・トランプは、この手の“長文読解”的な演説はしないんだとか。だから、大統領になつた。或は、それなのに。
まあ、何となく納得<オバマ、トランプ、バイデン、トランプの米国民。
☆
先日、鯨構文などに関する英語解説動画を視てみた。動画を視てゐる間は「成程。さういふことだつたのか」と納得し、鯨構文を理解したやうな気にもなる。のだが。視終つた瞬間に動画の内容を忘れてしまふのは、鯨構文の動画に限つたことではないけれども。
とは言へ
「not? (more|less) than」(正規表現😁)
の4種類がどう違かは理解できたやうに思ふ。
所でエスペラントでは鯨構文をどう表現するんだろ。
「Baleno estas fiŝo neniom pli ol ĉevalo estas fiŝo.」
「Tiel baleno ne estas fiŝo, kiel ĉevalo ne estas fiŝo.」
さて?
こうちゃん

希望
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しぐれ

あにゃ

あるち

シャケ

ディラ
だって勝っても金にならねぇもん。

∠ジン

浸紅
俺はリマスターでバケモノになってしまったのかもしれない…

みろ@フ

くら@横

イツミ
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