投稿

焼きニ
#おおまえチャン
最近のパチンコ台の
ほぼ当たりもしないのに
出る弱いチャンス予告
だったらノーマルリーチで当たる割合を
増やしてくれ。
激アツ予告出て派手に煽りまくって
外れるのも腹立つけど。
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桜んぼ
なんでさ、こっちから育児を「お願い」しやなあかんの?方法を1から100まで全て説明しやなあかんの?お願いしたらなんで不機嫌になるの?なんでビクビクしながら育児をお願いしやなあかんの??
え???お前も親じゃないの??お前は保育士さんなの??大したことできへんのに??

永遠の
鏡屋がどうした?
だって、これってよく考えたらオカルトじゃね?すみちゃんこういうの得意じゃん
オカルト?
うん。ゾンビとか、幽霊とか
(橋本郁美・委員長)
#永遠の昨日

こだ

あいの

くれす

きちち

パラボ
また鼻につくギャルしてる笑。この年、観ただけでも、リアル鬼ごっこ、シバトラ、33分探偵、そしてこれと立て続けに同じような役してる。
この頃はこういうギャルの需要がとてもあったんだな。
高IQギフテッド
黄身と白身は決して単なる「部分」ではない。むしろ、それぞれが欲望の配列における部分的対象(objets partiels)であり、食卓というプレート状平面(plan de consistance)上における差異の遊戯(jeu des différences)なのである。
ここで問題になるのは、順序の問題ではなく、接続(connexion)の問題である。黄身を先に食べることは、白身との間に断絶的接続(connexion disjonctive)をつくる。すなわち、「今、欲望が臨界に達した」とする身体−機械の切断と連結の再配置なのだ。
逆に白身を先に食す行為は、欲望の遅延(différance)を意味する。黄身という強度を最後まで温存しつつ、食事という過程をラインとして折りたたむ(replis)こと。それは自己の味覚的内在性(immanence gustative)への回帰であり、つねに他者化された自己との闘争、すなわち黄身=他者(le jaune comme l’Autre)の倫理である。

桜んぼ
「先に言って欲しかった」とかさ、
え???お前は育児において何一つ考えられないの?指示待ち人間なの??マニュアルないと動けないの??

漢字之
昨夜24時頃寝て一時して目が覚めたとき寝ぼけてたのか「あ、仕事に遅刻する!!」と自室の時計を確認せずリビングまで走って行って電気をつけました。
そこで気づいたのです…リビングの時計の時間は深夜2時半…仕事は7時からと…
冷静になった私は水を持って寝床へ帰りましたとさ
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