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かるぽ
お友達と、宮沢賢治の作品について少し会話をすることがありました。なので、今日は宮沢賢治の小作「よだかの星」について語りたいと思います。これを読んだとき、よだかに随分と感傷移入したものです。周りの鳥仲間にも嫌われ、徳高き星々にも認められず、爪弾きにされたよだかよ。悲しかったろうなぁ。悔しかったろうなぁ。物語を通して、よだかに味方はいませんでした。かろうじて、弟の川せみはよだかの敵ではありませんでしたが、彼は見た目も声も美しいのです。よだかの孤独を理解することはできなかったことでしょう。よだかは、その見た目と声とがみすぼらしいということで、そしてそれらに反して名前だけは鷹のように立派であるということで、周りの鳥仲間から排除されていたのでした。生きとし生けるものは、自分がどのような姿で生まれ、どのような名を受けて生きるかなど、選べないというのに。
かように周囲に攻撃され、仲間はずれにされ、悄然としているよだかは、甲虫を食べたとき、自分自身の他害性に気がつきました。自分は攻撃される側の者だと思っていたよだかは、しかし自分自身にも虫を喰うという他害性が備わっていたことに気づくのです。動物にとって生きるというということは、畢竟他害性を抱えていることなのです。
よだかは悲しかったことでしょう。攻撃されることの悲しさを知っているからこそ、誰のことも攻撃したくはないのに。でも虫を喰わねば、自分は生きてけない。命を喰わねば生きていけない業(ごう)を儚み、よだかは星になりたいと願います。しかし、昼の太陽も、西の夜空のオリオンも、北の夜空の大熊星(=北斗七星のこと)も、東の夜空の鷲の星(=アルタイル(彦星)のこと)も、よだかの心にも悲しみにもさっぱり見向きもしてくれません。彼らには彼らの言い分があるのでしょうが、傲慢さを仄かに感じるのは僕の感性に依るものでしょうか。
最後に、よだかは無心に、ただ無心に空へと飛び昇ります。僕は友達にこの物語で感じたことを「命の煌めき」だと伝えしました。たぶん、よだかは心の底から星になりたかったのでしょう。星というのは比喩で、言い換えるなら、「解脱」といったほうが本質的かもしれません。よだかは最後に、周囲の何者にも影響されることなく、ただ無心に自分であることを深化して、そして星になったのだと思います。
僕は好きですよ、この物語。
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ストロ

たかの

つむぎ

如月ゆ
やっぱり気持ち悪くしてる自分がいちばん生き生き出来るわ…( ⸝⸝⸝⸝ ॑꒳ ॑⸝⸝⸝⸝)ムフ
えへへへ
好きなことできるの最高…えへへ
今日は家事もしないでまったり休むんだぁ(´▽`*)アハハ
少女漫画最高…青春最高!!!!!!

taco🍌
#Aぇヤンタン

ぱっぎ
オンラインチェキ会はコメントもちゃんと読んで答えてくれる。

りんご

きゃた
酒と犬………

ナギ
ハンガーに掛けるのめんどい

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るい
なるほど、「星になる」ことの解釈(考え、感性)の違いですねぇ… かるぽさんの感じたことはよくわかりました、ありがとうございました。
まー🪄🫧(通知OFF)
大好きな作品です
#朗読会るぴなす💠
わたしにはこれは宮沢賢治自身に見えています。自分自身に人間としての業や欲の深さがあって、清く美しいなにかになれない自分を、いつも宮沢賢治は厭いそして憎んでいたように思えます。