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Fahrenheit
回答数 4>>
私の場合は不振というより、関心が他人に向いてなくて、元から当てにしてもしょうがない、という感じでした。
自分側親の虐待を生き延びる上で何が使えて、何を選択すると危ないのか、を毎回毎回マインスイパーみたいな感じで推測していく感じですね。
そのうち勝つために必要なことが何かを学ぶようになり、それと合わせて学校の勉強に関係しそうな教養(理科、社会、国語、算数など)を自分が生きてくための知識や手段になり得るものとして学んだことになります。
塾や予備校なんてのは貧乏すぎて通ってない(だけでなく両親とも高卒中卒なので通わせる意味すら意識してなかったと思う)訳ですが、そのことで私が教科書や本屋の立ち読みで学んだことの理解については、完全に自分の頭だけで定着させられた(余計な詰め込みをやらなかったため)ので、自分の生き方や物の考え方に最もテーラリングされた知識基盤として身についたのだと思います。
困ってることとしては、この最適化を自分のあらゆる勉強や学問に対してやってきたので、他人と専門用語や知識を使う議論において、同じワードを使っても彼らがそれを正しく理解してないために議論の幅がなさすぎて、こちらの意図が伝わらないことです。
そのうち、これは認知の幅や深度の以外に根ざすもので、人生をどれだけ真面目に思考や思索に捧げて生きてきたかの積算値が違いすぎることによると理解したので、そもそも他人と議論することをやめることにしています。
他人を見下してるのではなくてこちらが伝えたいと思ってることが全く伝わらないため、マイノリティである私は数や同調圧力によって排除されるという下らなさ過ぎる流れを感じる前にその場から逃げるほうがマシだと考えるためですね。
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ヴォケラントウンチとは何ですか?
ヴォケラントウンチは、特定のコンテキストで使われる言葉で、主に日本のネット文化やサブカルチャーに関連しています。この言葉は、特にユーモラスな意味合いを持つことが多く、しばしば冗談や軽い皮肉を交えた会話で使われます。
意味: ヴォケラントウンチは、特定の状況や行動を面白おかしく表現するための言葉です。例えば、何かが非常にくだらない、または無意味であると感じたときに使われることがあります。
使用例: 友達との会話で、何かが非常におかしいと感じたときに「それはまさにヴォケラントウンチだね!」と言ったりします。
この言葉は、特に若者の間で流行しているため、使う際には相手との関係性や場の雰囲気を考慮することが大切です。

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Fahrenheit 投稿者
人の厚意を受け止めるとい合シチュエーションでも、そもそも認知のずれによりこちらには何らメリットがないどころか迷惑になってるケースもよくあります。 それに対して不満や苦情が言えないという非対称性を感じているので、結局他人からどう思われていてもメリットが生じないというパターンが多いのであれば、なるべく関わりは最小限として、こちらが望む反応をしてくれるためのコストだけこちらが払うという関係に徹すことで、心理的安全保障が実現するに留めるしかないというのが今のところの自己と世界に対する認知です。
Fahrenheit 投稿者
逃げることも一つだと思いますよ。 私は高校を出る頃にはヤケクソだったので、どうせ社会のゴミとしてヤクザに何回かされて死ぬのならいっそ、という思いだったというだけで、いわばラッキーだったのだと思います。 子供の頃は、やはりひたすら逃げ回ったり、自分を責めたり、自分には何も許されない人間だと思っていましたからね(今でもそうですが汗)。