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塩分
国旗損壊罪の新設は、治安対策でも制度改革でもない。端的に言えば「強い国家」を印象づけるための象徴的立法である。しかし、象徴を刑罰で固める政治は、国家の内実の強さとは無縁であり、むしろ脆弱さの裏返しであることが多い。
そもそも、実害がほとんど確認されていない行為を新たに犯罪化するのは、立法の本来の役割ではない。刑法は社会秩序を守るための最終手段であり、国民の感情を鼓舞したり、政治的メッセージを発信したりする道具ではない。国旗損壊罪は、その原則を逸脱している。
象徴的立法の特徴は、「分かりやすさ」にある。国旗、国歌、伝統といった抽象的価値を前面に出すことで、政策の成果や失敗を検証する手間を省き、賛否を感情の二択に落とし込む。そこでは、「なぜ今それが必要なのか」「どの問題を解決するのか」という問いが意図的に曖昧にされる。
だが、本当に強い国家とは、象徴が傷つけられることに過敏に反応しない。批判や挑発、時に不快な表現すら受け止める制度的余裕を持つ国家こそが、自信と安定を備えている。象徴を刑罰で守ろうとする姿勢は、「言葉や行為によって揺らぐ程度の国家だ」と自ら認めているに等しい。
歴史を振り返れば、象徴への侮辱を厳罰化する国家ほど、政治的正統性に不安を抱えてきた。支持を実績で得られないとき、権力は象徴を神聖化し、それへの異議を封じる方向へ傾く。国旗損壊罪は、その古典的な政治手法の現代的な焼き直しに過ぎない。
さらに深刻なのは、この種の立法が一度成立すると、次の「象徴」を求め始める点だ。国旗、国歌、次は歴史観、教育内容、発言の文脈——境界線は際限なく拡張される。象徴的立法は単発で終わらず、社会全体を萎縮させる連鎖を生む。
国家の強さは、罰則の数では測れない。経済、教育、社会保障、法の公平性といった地道な政策の積み重ねこそが、国への信頼を形づくる。象徴を守るための刑罰は、その努力を省略した政治の近道であり、長期的には国家を弱体化させる。
国旗を刑法で守る国家ではなく、刑法を慎重に使える国家こそが、真に強い国家である。

トオル
自己承認欲求には
困ったものです
私を選んで!
ってなんの選挙
とニュースコメンテーター
言ってる通りと思う
選挙の前に物価 為替 対策では?

yota


ともくん
「発言が危うい」
いままでは「日本的政治」「体質が古い」
「発信力が弱い」
世界のリーダーは国を代表する偉い方、
発言に責任を持つのは当然です
各国のリーダーは皆そうしてませんか?
二転三転してるのは誰か
この世界情勢で何を貴方は我が国に
求めるのか
決めるのは自分自身です
偏向報道
左右にぶれぶれ
日本(自国)ファースト
日本に限りませんよ
しっかり見極めましょう
そろそろまちがえた、ではすまされない
塩分
参政党が主張する「国旗損壊罪」の創設は、一見すると国を大切にする姿勢の表明のように映る。しかし、冷静に法制度全体を見渡すと、この新たな処罰規定は必要性も実効性も乏しく、むしろ民主社会にとって有害であることが分かる。
第一に、現行法でも多くのケースは対応可能だ。公共の場での器物損壊や業務妨害、侮辱的行為が社会的混乱を招けば、すでに刑法や条例によって処罰されうる。国旗であるか否かを理由に特別扱いする法的必然性は見当たらない。
第二に、国旗への敬意は刑罰によって育つものではない。罰則で強制された敬意は形骸化し、かえって反発や分断を生む。歴史的にも、象徴への忠誠を刑法で縛る国家ほど、国民の自発的な愛着を失ってきた事実を忘れてはならない。
第三に、表現の自由への萎縮効果は深刻だ。抗議表現や風刺、芸術活動が「国旗をどう扱ったか」という一点で犯罪とされるなら、判断基準は必然的に恣意的になる。これは民主主義の基盤である言論空間を狭める結果につながる。
国家の尊厳とは、厳罰によって守られるものではなく、自由と法の公正さによって信頼を得ることで成立する。国旗損壊罪の新設は、強い国家を演出するための象徴的立法にすぎず、成熟した法治国家の選択とは言い難い。
私たちが守るべきなのは、布としての旗ではなく、それを掲げるに値する社会そのものではないだろうか。

タヌオ
回答数 51>>
大した効果ないかもと思います。
嘘が全て悪いことみたいな捉え方
されがちだけど、優しさから出る
嘘とかもあるので。
下手すれば、今より治安悪化する
可能性すらあるかもしれないですねー
なので、そんな世界になったら
かなり生きづらそうだな思いました〜
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