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チャーハン大王

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ハットリ・ハウス # 1 [新連載]

#昭和の歌


☆『或る月の夜に '47』

♫別れのブルース ♫山寺の和尚さん ♫蘇州夜曲 ♫湖畔の宿 ♫東京ブギウギ ♫バラのルンバ ♫銀座セレナーデ ♫ヘイヘイブギ ♫青い山脈 ♫恋のアマリリス ♫三味線ブギ ♫山のかなたに ♫丘は花ざかり ……流行歌全盛期にこれだけの代表曲を世に放った国民栄誉賞作曲家 服部良一。
彼は大阪・玉造に生まれ少年期より音楽活動を始めてやがて日本に来日していたロシアの名指揮者エマニエル・メッテル氏に師事し和声楽を習得。同窓に後の大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督を務めた日本のマエストロの第一人者だった朝比奈隆がいる。このメッテル仕込みの編曲力を生かし当時は勃興期だった我が国の流行歌界へ。ジャズバンドでサックス奏者として活動しながら関西に乱立していたタイヘイ・ニットーといったマイナーレーベルの専属作曲家として腕を磨きやがて上京。昭和11年に晴れて外資系大手レコード会社のコロムビアへ移籍し本格的作曲家兼編曲家として頭角を表した。最初のヒット曲は
♫山寺の和尚さん だったが、大ヒットしたのは翌昭和12年にリリースされた淡谷のり子唄うところの♫別れのブルース だった。〇〇ブルースと星の数ほどあるブルース歌謡を定着させた。以後も当時流行していたジャズやタンゴ、ルンバと言った洋楽と日本の流行歌を巧みに融合させた歌謡曲のグレードアップに貢献。服部は、当時分業制だった作曲と編曲両方をこなした。それは一重に若き日にメッテル氏に習った和声楽の賜物だった。
レコーディング時には自ら書いたスコアを持参して臨み、望みうる"音"を発信できた数少ない作曲家だった。又、コロムビア入社前から多くの友人作曲家たちに無償で和声楽を教える『響友会』を開き、数多くの若き精鋭作曲家達がレコード会社の枠を跨いで巣立っていき、多くの作曲家達が編曲もこなせるようになり、服部の日本流行歌史に対する貢献度はもっと賞賛されていい。太平洋戦争によりリリース出来るレコードも徐々に制限されていく、レコード会社も大手の軒並み社名であるコロムビア、ビクター、ポリドール、キング、テイチクと言ったカタカナ表記すら変更を余儀なくされていく。そうしたご時世の下リリースされる楽曲も戦争礼賛、鬼畜米英、といった極端なまでの軍歌、軍国歌謡が奨励されていく。服部のみならず、それまで洋楽系のレコードで売ってきたディック・ミネや淡谷のり子といったベテラン勢らも肩身が狭くなっていく。服部は、と言えば軍歌を全く書かない訳にもいかず、去りとて洋楽風流行歌を中心に書いてきた作風は完全に封印せざるを得なくなったが、例えば銃後の暮らしの歌など直接戦争を礼賛するものには着手せず、間接話法的な楽曲を細々と書いていた。ディックや淡谷のり子らは国内での活動が半ば無くなりつつあり、専らその活動の大半は前線への慰問に費やされた。終戦のとき、服部は軍属として中国・上海にいた。実際は日本人なのに中国人スター歌手として大変な人気と実力を備えていた李香蘭こと山口淑子や松竹映画宣伝課員として服部らと行動を共にしていた生方敏夫や洋楽・洋画評論家だった野口久光らと、日中親善企画として上海にあった大ホールで、夜来花(イエライシャン)ラプソディーを中心に添えた大規模コンサートを開いたりして日本軍芸術班の一員として赴いていた。終戦と決まってからは同行していた李香蘭が中国の裁判所からスパイ容疑で軟禁状態となり、服部たちもその裁判を最後まで見届けた。最終的には李香蘭への容疑は晴れて無罪となって日本へ無事に帰国出来た。服部は後の回想で、ブルースが流行ったとき、日本は中国との戦争で破竹の勢いで勝ち進んで行きマスコミも国民も勝った勝ったと高揚していた。しかし素直な国民感情としては、日本の軍部が台頭しており、世界的にも孤立してゆく日本の立ち位置を考えたら、戦争に没入してゆく暗い気分の反映がブルースの流行を生んだのだ。戦後は一転して、日本全土が連合軍からの空襲を受けて都市部は焦土と化し、追い討ちを掛けるような敗戦に打ちひしがれたが、国民感情としては長く暗いトンネルから抜け出して、再び自由を謳歌出来る時代となり、明るい光明が差していた。そんな折にブギウギは解放された日本人の心の反映だったのだと思う、と述べていた。この二律背反する服部の冷静な視座は同時に服部の本音でもあったのであろう。
終戦直後に服部は帰国してから精力的に元の洋楽風オリヂナル流行歌を量産していき、幾つかの傑作が生まれたが、1947年昭和22年同じコロムビアのシンガー同士でゴールインして戦前すでに話題を振り撒いていた霧島昇と松原操のデュエットで吹き込まれた♫或る月の夜に はそんな自由に洋風歌謡を書ける喜びの中で書かれた服部らしい凝った楽曲であった。オリヂナル原盤をどうしても探し出せずやむを得ずサブスクにアップされていた後にリメイクされたダーク・ダックスの唄に小原重徳とブルーコーツが素晴らしい伴奏で彩りをそえた音源が、現在聴ける唯一のヴァージョンなので、第一回目の服部コラムに花を添えたい。
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或る月の夜に

ダーク・ダックス, 小原重徳とブルー・コーツ・オーケストラ & アンサンブル・エコーズ

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