秀麿の心理状態を簡単に説明すれば、無聊に苦んでいると云うより外はない。それも何事もすることの出来ない、低い刺戟に饑えている人の感ずる退屈とは違う。内に眠っている事業に圧迫せられるような心持である。潜勢力の苦痛である。三国時代の英雄は髀に肉を生じたのを見て歎じた。それと同じように、余所目には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂う無動作性萎縮に陥いらねば好いがと憂えている。そして思量の体操をする積りで、哲学の本なんぞを読み耽っているのである。
森鴎外「かのように」の一節でありんすが、心理学者ならどう読むのでありんしょう?
#真夜中の哲学
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秀麿の心理状態を簡単に説明すれば、無聊に苦んでいると云うより外はない。それも何事もすることの出来ない、低い刺戟に饑えている人の感ずる退屈とは違う。内に眠っている事業に圧迫せられるような心持である。潜勢力の苦痛である。三国時代の英雄は髀に肉を生じたのを見て歎じた。それと同じように、余所目には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂う無動作性萎縮に陥いらねば好いがと憂えている。そして思量の体操をする積りで、哲学の本なんぞを読み耽っているのである。
皇帝陛下はぁてゃ🦭
3行以内で表現するとどんな感じなん??
天照⭐︎大神@令和₹˝ャʓ 投稿者
ポリシーのレベルとパラダイムのレベル。後者を取り扱おうとした途端に話が通じなくなる現象はどこにでもあるものよのぅ...( ´Д`)y━・~~
天照⭐︎大神@令和₹˝ャʓ 投稿者
ど素人のあちきが面白いと思ふのは、秀麿が自身の認識論への再帰性を徹底していないように描かれていることだ。ぼんは実在論的パラダイムに浸りいていることに無自覚であるように思われるし、それ自体が「かのように」であることに他ならないのだから。鴎外先生の生きた時代を反映したさすがの構築センスである。
天照⭐︎大神@令和₹˝ャʓ 投稿者
なお、ぼんと両親の間の力動については精神分析家との書簡にて触れたい。そして綾小路へ語ることがもたらす機能をあちきは取り上げてみたいと思ふ。
天照⭐︎大神@令和₹˝ャʓ 投稿者
鴎外先生の詞自体に見解は書かれていましたけんど、そう言い切ってしまうのはいささか悲しいと思ってしまうでありんすなぁ。それにしても智識人のテクストはお品がござりんす。