自分自身を家畜として飼い慣らしたときに哲学は役目を終える。すなわち、なぜ生かされているかを知り、どう生きるべきかを理解し、それをいかにも自分自身で選び抜いた生き様であると確信し、かつ、確信させられ、やるべきことを自他ともに充足しきっている状態の人間社会が生じたときに、学問のほとんどは終息する。
科学的研究の発展によって、哲学的思考で求められる解へのアクセスの特権的領域が確定されるという移行の仕方で局限されていくのではないかと考えています。それ自体に何か人間的な憂いや詫びしさといった感情を感じるということでは全くありませんが、そうした事態に直面するにあたり、人間至上主義的な思想の持ち主や古いタイプの学術信仰の考えを持つような人たちが、こぞってそうした考えをまとめた哲学を構築して、意味のよくわからない界隈を形成するに違いないんだろうなぁと考えそういう領域をなまぬるい目で冷静に俯瞰しています。