情報社会は人間の悪なのか?
現代は情報なしでは生きていけない。しかしその情報とは、知性に直結する本質なのだろうか?

ゆう
情報社会の中で生きることを自分で選択し、何か対価を得ようとするのであれば、情報社会の「人間の悪」「人間の善」両方を認め、飲み込む必要があると思います
自分を守るために役立つ情報・知識を得て、賢くならなれば損をするし、情報弱者はより多くの情報を持つ強者に劣ります
強者側に倫理観がない場合、弱者は騙され、金銭奪われ、情報を抜き取られます
かといって、強者側が一方的に悪とは言えません
弱者側には情報社会で生きているのに、情報をキャッチする責任を放棄した落ち度があります
全ての情報は学びや生きる知恵へと昇華されます
僕自身、情報社会で生きているので一概に人間の悪とは考えたくないです[冷や汗]

きっしゃん

愛善院
情報というものはあったらあったで分別をつける(または弁別して表現する)のに便利だけれども、ないからこそ何とかする、という営為が面白いのだと思っています。
感情を表す語彙はそれなりに単語数がありますが、それでも「自己」に引き付けたとき、その表現では言い足りないことがある。そういうのを「詩がある」と呼んだりするわけですが。
自分の内にある何かを、外にある何かで代替させて表現せざるを得ないとき、そこには常にズレが生じている。このズレは、いうなれば人間の知性がフィルターとなって入力も出力も行うからなのだと思われます。
情報が悪である、とも言い切れますまいが、情報によってこの知性のフィルターを分厚くしすぎているとき、本能的生命的なものそのものがないがしろになって、多く、生きて「いる」のが辛い、なのにその原因すら理解できない人々を発生させゆくことにもなりましょう。

pico

BEVEL
道具と同じく使い方シダイだろうね[ほっとする]

くろ
高度情報社会の問題点の一つは、その量が多すぎるが故に精査が追いつかないこと、真偽が入り乱れていることにある。
情報そのものは知性ではなく、数ある情報の真偽を問い、有効活用することこそが「知性」ではないか。
そう考えるならば、寧ろ今ほど知性が問われる時代はないだろう。
憂慮すべきはAIの存在だ。あくまで人間の思考の補助ツールとして使うならばいいが、いつしか思考をやめてAIに頼り切るようになったら、人間の知性の衰退は免れ得ないだろう。

憂い顔の騎士

mon
産業革命期のラッダイト運動と同じような感じします。何が問題なのか問うて、認識を新たにする作業は必要です

リキヨ

きゃめる
・「知性に直結する本質」とは…?(何回読み込んでも何を指してるのか分からなかった)
・「人間の悪」とは、”人間にとって悪”って意味?それとも ”人間の業”って意味?

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