「人格の完成」という目的のために、あなたならばまず自分になにを課す?【教育哲学/構造主義】

魚屋ゆう
人生の最期を迎えた時が完成

憂い顔の騎士

正宗(ろー)
『旅』がしたい。
どれだけの知性を持っていようと、どれだけの知識を蓄えていようと、『籠の中の鳥』ではいたくない。
『鳥籠』の中は安全だし、居心地が良いけど、そこは確実に自分の価値観と人生観を狭めるし、人生観体験も世界認識も狭めるものだと思います。
オーロラを見て感動する人生がいいし、外国で無償の愛に触れて生きてて良かったと体験をたくさんしたい。
それをしないと僕は自分の人生を『知っていない』だと思います。
人格の完成は目的とはしません。
私は人は未熟で未完の存在ながら、善くありたいと想う『姿勢』が本質だと思っているからです。
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[星2]問に答えるための視座
以上は自分の視座で、次は問に答えるための架空の視座を持ってくると、
やはり『旅』ですね。
自分の『既知の世界』、『既知の枠組み』を壊さないと、おそらく非寛容であることを自覚できませんし、『自分は正しい』と誤認してしまう『認知的病』に罹患したままになると思うからです。
現代人が1週間とか一ヶ月で、入力として取り入れる情報量は、江戸時代の庶民の一生分の情報量に当たるという仮説があります。
ネットが発達し、入力が容易になった反面、知行合一でいうところの『行うこと』が相対的に少なくなり、現人は深刻なI/O比率(インプット、アウトプット比率)の傾きの状況にあると思います。
結果として、現代人は『頭でっかち』になるのが宿命で、かつ、この『頭でっかち』は、二重の意味で知覚できないと思います。
1つ目は、自己の『頭でっかち』を捉えることは認知機能的に難しいから。
自己を客体化する思考時操作も、成人発達理論でいうところのステージ5が必要だし、そもそもこういった概念がまだ社会に萌芽していませんから、存在しない概念を掴むのは相当に困難です。
2つ目は、現代人は周りが『頭でっかち』の人だらけですから、自他を比較してもその特性は『当たり前』と認識され、保有していることや、改善すべきものだという認識を持つことができないと思います。
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[星2]まとめ
完成された人格は、その社会、その組織、その役割、その場面ごとに求められるものが変化すると思います。
➜相対的な完成された人格像
反対に、絶対的な完成された人格像が、相対的な場面に合致・適合するかは『否』なので、絶対的な完成された

チャームピアス

もけけのす
どんな人格を目指すにしても、思考や発言と行動が不一致であれば、そこにおける「人格」にはなんの価値もないから。

伯爵
フラットな視点を持つための多角的な知識。
それらを疑うための謙虚さの獲得。
ですかね[冷や汗]
「自分は偏見を持って、ことに接している」
と、常時心がけていますが、なかなかに疑わしい点でもあります。
自分の回答の多くが断定的であるにもかかわらず。です。笑

たよ

マルコ・アモレッティ

wato(わと)
としゆき
それを通じて人間として好ましくない姿を客観的に認識し、そうはならないよう日々真っ当に生きようと試みることです
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