教えるとはどうゆうことか?
無知の知がありながら人にものを教えるという事に違和感がある。
やっちん坊♂
僕的には🎯教える事って💦難しい😓事だと思われます〜😭教えたからには💦その責任が伴いますから😭教えながら考え学ぶ事が沢山ありそうですよねー😘

ポエ太

西日好
狐狩犬
本来は上とか下とか関係ないから、もっと気軽に足りないパーツを補完してくれ程度に考えればいい。

Akira777

pyama

愛善院
とかね。
気付かないことを気付いてもらうきっかけを、できるだけ平等に与えることを「教育」という。
自分だけでやっていると、これでいいのかなぁ、になってしまうのが児童生徒でもあるので、「その自己サイクルやマインドセットでいけ」としておけば「知識」だけなら彼らに任せておけば自然と吸収するものです。
とかろう

あーみっく

伯爵
質問の詳細に書かれた
「無知の知がありながら人に教えるという違和感」は、“おこがましさ”からでしょうか?
しかしそれをおこがましいとするならば、そもそも全知全能でも無い限り、人は何事をも人に教える事はできません。
そして「何かを充分に会得して行動を起こす」ことは、行動によって知り得たはずの「未知」を知らずのままにしかねません。
イラストの習得で例えましょう。
イラストを上達したくて、様々な人の知見を尋ねたり、学んだりを繰り返します。
「もっと絵が上手くなってからアップしよう」と考えがちですが、この思考は上達を遠回りにさせるケースが多く、ジャッジが自己完結しているため「もっと上手くなったいつか」はなかなか訪れません。
反して「下手なうちからアップ」するとします。すると経験のうちに、人から(聞いてもいないのに)色んなことを教えられます。
そうして経験を重ねても、いつまで経っても自己評価としては下手なように思えると思います。そう思いつつもアップを繰り返していくうちに、
「どうやったらそんな風に上手く描けるのか?」と尋ねられる逆転現象が起こります。
その時の回答こそが「教える」なのだと思うのです。
先人の知恵を教わる立場から、質問に答える立場=教える立場になる。これが本来の「教える」の姿のように思われます。
ご質問は恐らく
「職業としての“教える”」を根にした疑問では無いかと推測します。であれば、彼ら(職業教師)は“尋ねられる立場”を経て無い(場合が多い/順序が違う)ため、こうした疑問を持たれても無理はないのかと感じます。
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