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人間の存在価値についてどう考える?

塊(つちくれ)

塊(つちくれ)

自分の周りにいる人間が勝手に決めていることだから、あまり気にしたことがないし気にしても意味がない。

ただあまりにも価値がないと思われているのであれば環境を変えた方がお互いのためだよなぁとは思います。
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ユリ

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一人の人間の命の重みは、地球の重みよりも重い。
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たろう

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何を価値とするかは時代や環境によって左右されるかと
例えば、億万長者やインフルエンサーはもてはやされるけど、100年後ももてはやされるとは限らないと思う
今の存在価値を高めたいなら、SNS頑張ってインフルエンサーになれば良いと思う
未来の人に尊敬されたいなら、自分の意思を貫いて何かを成すしかない
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J+

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地球上に人類は82億3200万匹生息している

他の生態系を破壊しつつ1年で8000万匹以上も増殖しているのは不自然

COVID-19で630万匹が死んでいるけれど、たった7.65%の繁殖抑制

人口が増え過ぎ、開拓という名目でジャングルへ足を踏み入れた結果エボラ出血熱が出たり、
日本で人里に熊が出没するようになったのも山林の伐採が関係しているような…

そう考えると人間の存在価値は如何なものか…
半分以下の40億人ぐらいで生態系とのバランスが取れているような気がする
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sandpear

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生きてるだけで、役にっていると思うようにしている!
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Yoo

Yoo

人間の「生」について、そもそも評価をつけられるものではない、つけてはならない類のものである。

と、少なくとも建前はしておかなければならない。なぜならば、世の中は基本的に能力主義、新自由主義であって、これを敷衍すると優生主義に接近してしまうからだ。

能力主義は、有用と無用で人間を区別する。能力ある人間は評価され、使えない人間、生産性がない人間を排除、淘汰してしまう。このような考えを極端にすれば、働くことのできる人間、社会の役に立てる人間を評価すべきで、そうでない人間は、寝たきりでケアなしに生きることができない人間は、役立たずで社会に必要のない人間であるという評価がなされてしまう。

このような評価は、人間の生そのものを評価する。すなわち、あなたは生きる価値のある人間か、そうでない人間かが評価の対象となってしまう。

能力主義で考えると、人間の生をも評価対象としてしまい、障害者施設での無差別○人を否定することができなくなる。



と、哲学的な答案というより、社会での人間の価値評価について焦点を当てたものになりますが。
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よっちゃん

よっちゃん

宇宙の仕組みの一パーツですね
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ステラ

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地球や自然界においての人間の存在価値は、地球を壊す負しかないと考えます。

しかしながら、人間により思考が異なります。
さらに、それぞれの正義があります。

それを前提に、
私は破壊ではなく、希望、思いやり、調和を意識して存在し続けたいです。
価値を、皆さんが審査員として決めるのであれば苦しみます。
価値があるなしを気にしながら生きる事はせず、
もし、気にしたいのであれば、
自分が自分自身の審査員となり、自分の価値を決めるのが一番安定すると考えます。
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Yan

Yan

頭悪いので難しいことはわかりませんが、オカンが命かけて産んでくれて自分のこと全部後回しにして育ててくれて、オヤジが汗水垂らして働いてくれて飯が食えて学校も行かせて貰えたから、今の自分がある。
自分自身よりオヤジとオカンが必死でやってくれたことには何にも代えがたい価値があると思っています。
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comesunday

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「人間の存在価値」は、特定の主観による特定の恣意的な基準で評価されるものであり、その普遍的な評価を測定したり妥当性を証明したりすることはできない。

ただし、評価の対象である「人間」にとっては、(それが個体を指す場合でも集合を指す場合でも)典型的に、安定的な生存、生活、生活環境維持運用などのために自身が理解できる評価基準を必要とする状況があるため、そのような目的のために、個人や社会が恣意的にその価値の評価基準を策定し、人間やその集団に対して評価結果をラベル付けする。

そのような「人間の存在価値」のラベルや評価基準は、そもそもが、安定的な生存、生活、生活環境維持運用など、特定の目的をのために恣意的に規定されるものなので、運用中に何らかの状況変化の影響で既存の基準が目的に合わない事情か発生した場合は、いつなんどきも目的、都合に合わせて恣意的に変更されるべきものである。また、そのような目的の内容やその達成状況、達成方法などについての話題、コンテクストの中でしか意味をもたない。

「人間」を対象とする場合に限らず、「価値」とは、どのような対象についてどのような基準で評価されるものであっても例外なく、特定の主観によって恣意的に定義されるものであって、目的に応じて適切に運用されているかどうかによって妥当性を考えるべきものである。つまり、既存の評価による「価値」のラベルそのものについて普遍的な妥当性を評価することはできない。
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