他者は常に理解不能な存在であるか?

コパ🔍

とと

SUZUME
理解不可能である』が、
情報、経験、目標、目的を共有し、
同じ方向に進む事により
一部の他者との限定的な
理解と共有、共感は可能である
と考えます。

ニックX🐦🔥
理解できてると思うのは氷山の一角にしか過ぎない。
人は自分の欲求すら理解できていない。(無意識にあるもの。)
自分が何を考えてるのかわからないし、他人が何をいま考えてるのかもわからない。思考が他だ漏れなんてことはない。

ポエ太
理解しようとすること自体無駄なエネルギーの消耗です。

より
当たり前ですが、感じ方には個人差があります。他人が発した言葉が真実かどうかもわかりませんので、コミュニケーションも実は無意味なのかもしれません。
それでも理解を諦めないのが人間の尊むべき側面だと思います。
寒さに抗うシン
相手の言動がどこまで真実か確かめようがないのが一つ、他者の意識→他者の言葉→自己の解釈→自己の理解と進んだ時に他者と自己との間に二重三重のフィルターがかかってしまうというのが一つ。
天照

てす人

紀文屋
そうなると、予想していないパターンをした時『理解不能』と思う前に『理解しよう』という行動を取るのが私です。
この場合の『他者』は『家族・友人』時に『同僚』である場合が多いです。
毎日何かしらで顔を合わせる程度の人には『理解』を用いません。
なので『前者の場合はそうでもない』けど『後者の場合はそうです』と私は答えます。
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