西洋では働くことは人間の罪の結果の「罰」という認識があり、日本では神々が稲作はじめ働く姿が記されている。「側(はた)を楽にする」働くことそのものに喜びを見出せていれば働いた結果、賃金を得て生かされる。そんな気持ちの良い汗をかいて、人間関係に悩まずに働いていきたいね。
これを聞いた時に原始時代を想像しました今よりかなり不便ですが、彼らの行動はお腹が減って魚をとりに行ったり、野鳥や猪を取り行ったりだったのではなかろうかと想像します生きる為にやっていた事ですが、彼らはこれを仕事と思っていたでしょうか?やりたくなければ狩りも行かない選択もできました極端な話、現代の腹が減ったからポテチ食おうみたいなものだったのですよだけれども、狩りがだんだん面倒になったり効率を重視するようになった事で、集団や村を作るようになったわけですそして、この集団行動こそが、働くという行為を、個人の自由活動から、他者との関係や社会的な圧力によって規定される労働へと変わったのです集団生活では、全員が生存し、より良い生活を送るために、役割分担と協力が必須となります。もはや「腹が減らないから今日は狩りに行かない」という個人の自由な選択はなくなりました。誰かがサボれば、共同体の生存が脅かされるからですここに「お前もちゃんと働け」「皆と同じように貢献しろ」という協調圧力が生まれ、本来的な生存本能に基づく行動は、集団の維持を目的とした義務としての仕事へと姿を変えたのです大人ってこれを理解することじゃないんですかねぇ?そして原始に戻る事はできないんじゃなかろうかそこに戻りたい人がたまにキャンプとかしたくなるんじゃなかろうかそういう時代の流れでソロキャンが流行ったのだと思ってましたどう思う?
傍を楽にするから働くって最近みたなーって思ったら既に回答あったやーつお金貰うのもお金出すのも仕事してもらうのも誰かの為だという考えの一つだけど今は超富裕層がそう思わない限りは日本は良くならないだろうねぇ〜