『我々は所詮猿🐒である、猿人から進化した』
あの時代にそう唱えたダーウィンに最大のノーベル賞をあげたいと『個人的に』思います。
恐いですか?食べられるって本能的に悟りますか?何故そう思うのですか?人間は神様が造った特別な存在でしょう。



二割

デラシネ
猿人から進化したらそれは猿人ではない
猿から進化したらそれは猿ではない
我々は所詮アメーバである、単細胞生物から進化した

はる

さたさた
類人猿は別の種ですね。
西欧宗教の進化論否定論者の論旨に多いですが、
チンパンジーとホモサピエンスはそもそも異なる種族なので。

紫苑/しおん🐈⬛
「人間の祖先は猿ではない」
という指摘は、事実として正しいです。
ただ、それだけで終わってしまうと、
この問いが向けている核心には届きません。
この問いが投げているのは、
・進化論の正誤ではなく
・人間は自然の中でどんな存在か
・とくに捕食という文脈で
自分たちをどう理解しているか
という、人間理解そのものです。
知識を示す前に、
まず問いの立っている場所を
確認する必要があります。
ーーー
【時代と宗教】
ダーウィンが『種の起源』を発表した
19世紀半ばは、
神の存在が社会の前提だった時代です。
人間は
・神に創られた特別な存在
・動物とは本質的に異なる
と考えられていました。
同時に、
ジョン・スチュアート・ミルらによる
功利主義が広まり、
理性や努力によって人間は進歩する、
という見方も強まっていました。
また当時は、
ウィリアム・ペイリーに代表される
自然神学の影響も強く、
自然の秩序は神の設計だと信じられていました。
その中で、
人間も自然の流れの一部だと示した進化論は、
「人間の価値はどこから来るのか」
という不安を生みました。
一方、日本では宗教が生活に溶け込み、
この緊張が見えにくい面もあります。
ーーー
【返答の型】
この問いへの反応には、
いくつかの向き合い方があります。
・知識訂正型
⇒ 用語の正確さに留まります。
・人間特権型
⇒ 理性や文明で人間を例外にします。
・神学的回避型
⇒ 神に判断を委ねます。
・相対化型
⇒ 現代とは違うと距離を取ります。
・有限自覚型
⇒ 捕食的文脈では
人間も弱い存在だと考えます。
ーーー
【ケアの視点】
私は、この有限自覚型に近い立場です。
人間の弱さを認めることは、
人間を貶めるためではありません。
この考え方は、
アルベルト・シュヴァイツァーの
「生命への畏敬」にも通じます。
人間も、
傷つきやすく、壊れやすい存在です。
だからこそ、
なぜ助け合いが必要なのか
なぜ福祉やルールがあるのか
を考える理由が生まれます。
この問いが聞いているのは、
恐竜に食べられる想像ではありません。
弱さを知った立場で、
それでもどんな選択をするのか。
そこが本当に問われている点だと思います。


マヨル

ベール

ヤス🍇🤍🧸🥞🌹🥃🐺⚖️
ただ真実を証明するなんてことはできるのだろうか?
むしろ知ったところで 何か変わるのだろうか?

ホボ・サピエンス
日本人は、アメリカ人ほど進化論を否定していないと思いますよ
実際、アメリカでは約4割が進化論を否定し、神が直接人間を創ったと信じていると言われていますが、日本ではそのような考えはあまり一般的じゃない気がします。
『サピエンス全史』でも、人類が「神話(ストーリー)」を共有できたことが大規模な協力を可能にし、繁栄につながったと語られていました。
恐竜の画像がありますが、Tレックスのような恐竜と人類は生きていた時代が重なっていません。
そのため、恐竜に捕食される恐怖が遺伝的に残っていると考えるのは、少し不自然に感じます。
本能的な恐怖というのは、高所や暗闇のような環境的なもの、あるいは蛇や蜘蛛のように、人類が実際に同じ時代を共存し、命の危険を受けてきた対象に向けられるものではないでしょうか。
もし恐竜を見て「捕食される」と感じるとしたら、それは本能というより、知識や想像、文化(映画やテレビなど)によって形成された後天的な恐怖だと思います。

なんだろう
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