「存在」なのだろうか。少なくとも私は一人称で「未来」を知覚に置けないからなぁ。ありとあらゆる「想像」はできるように占い師修行のときにやりまくったけれども。意識の志向性(ゴール地点の一種)として、ということならば、存在として「認めざるをえない」というところに落ち着きそうな
改めて言われると、確かに面白い質問ですね(笑)未来って言うと5年後とか100年後とかだけど「1秒後の未来」は未来なんだろうか?とは思いますね。1秒後の未来が未来じゃないとすると100年後も未来じゃないかもだし。俺たちの100年を1秒と定義してる宇宙人がいたとしてそいつらは1秒先の未来は未来じゃねえだろwwwってなってたら考えを改める必要ありますよね。沖縄人は時間にルーズで「沖縄時間だ」とかハワイ人は時間にルーズで「ハワイ基準だ」と同じ感覚でそれぞれの時間感覚における未来があってもいいよな(笑)
いくつかの語り方がありますが、「ブロック宇宙論」なるものがあります。これは「過去」「現在」「未来」のすべてが、あらかじめ一つのブロックのように存在している四次元時空として存在している、という考え方です。この理論では、時間の流れとは私たちの主観的な感覚に過ぎないとされています。例えるなら一冊の本を読んでいるという感じでしょうか。私たちはページを順番にめくっていきますが、本自体は既に完成しています。つまり本全体がブロック宇宙であり、ページをめくるという行為が私たちの主観的な時間の流れの経験ということになります。この観点ですと、「未来は存在している」と言えるでしょう。
存在しえないですね。仮に存在した場合、そのエネルギーはどこにあるか?アインシュタインの相対性理論のE=mc²から未来のエネルギーは存在出来ないと思います。今、無(無でなく可能性かな?)からつくる物が未来だと思います。