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人は常に、その時点で取り得る最善策を選んできたと言えるか。

自分が何になるか、どう生きるか、何を選ぶかによって人生は変わっていく。 つまり、人生は選択の上で成り立っていると言える。 そして、過去を振り返った時、「ああしておけばよかった」「こうしておけばよかった」と後悔することはみんなが経験することである。 しかし、その過去の時点で自分が持っていた情報、運、実力等を考慮し、選択した結果が今であると考えることもできる。 そこで、人は常に、その時点で取り得る最善策を選んできたと言えるか。
はしるくん

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自分は面白いと思える選択肢を最善策と定義する。
面白いという感情は事象の理解によって本質的に引き起こされるものであるから必然的に時差が生じる。そうなるの、その時差の間での事象も当然最善の評価軸に影響を与えてしまうことになる。
詰まる所、選択を取る行為と、自分の最善かの評価の間に時差があり、その時間での影響もあると考えると、ある選択における最善という評価が自分における普遍的なものではなくなってしまう。だから、最善の選択は「今、最善と思う!」と思い続けることでしか成り立たないのではないのかな?
だから自分は常に「過去の俺は間違ってても絶対正しい今の自分の土台!」と信じてるから最善の選択を取れている
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SS

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質問をみて、過去のすべては"それしか選べなかった現実"なのかもしれないな、と思いました

後悔や過ちも含めて、いつかそれを『最善』と呼べる日がくればいいなと切に願います
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はしるくん

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そもそも最善の定義とは?
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『最善』を取ろうとする行動は人間として、生き物として当たり前の行動。すると人は常に最善策を選んできたと言える。どんなに愚かに見える行動に見えてもその先は誰にも分からない。そしてその結果がその先いつどう影響を与えるかも分からない。つまり、過去を知った今でも『本当の結果』とは分からないのだから、その人がその時考えた最善策を講じたという事実のみで判断し、それがどうなり得るのかと言うことは別にするのが妥当であると思う
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としゆき

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最善策だったであろう選択は戦史において常に考慮され議論される領野ではありますが、冷静になって考えてみれば、その最善の選択のその後がすべてよいままの状態で終わるとは限らないのは論理的に明らかである。
つまり最善策だったであろうその選択の可能性は存在せず、可能性としてしか考慮できない永久に知ることのできない論理的可能性の命題それ自体でしかない。
その後に無限に分岐するであろう無限の事後の可能性の世界の可否は考慮することはおよそ不可能である
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